以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです〜〜
北大路魯山かく語りき「黄金の煌めき、これぞ真物の証なり」
「ふん、近頃の若い衆は、とかくチャラチャラとしたものを好む。本質を見抜く目を持たんのか、それとも見る気がないのか。嘆かわしいこった」
わし、北大路魯山は、いつものように自ら轆轤(ろくろ)を回し、新たな織部(おりべ)の向付(むこうづけ)の土と格闘しておった。春先のまだ肌寒い朝、アトリエに差し込む陽光は弱々しいが、それでも土の息遣いを感じるには十分じゃ。そこへ、懇意にしている古美術商の男が、何やら恭(うやうや)しげに小さな桐箱を抱えて現れた。
「先生、本日はちと面白いものが入りましたんで、お目にかけとう存じまして」
男はそう言うと、桐箱からビロードの袋を取り出し、中からするりと一本の黄金色の鎖を取り出した。
「ほう、金鎖か。ありふれたもんじゃな」
一瞥(いちべつ)したわしは、正直、さほど興味も湧かなかった。金などというものは、その輝きばかりがもてはやされるが、品格というものが伴わねば、ただの俗悪な代物になり下がる。しかし、男がそれを黒漆の盆の上に置くと、アトリエの弱い光の中でも、その鎖は尋常ならざる光を放ち始めたのじゃ。
「先生、ただの金鎖ではございません。これはK18、いわゆる十八金(じゅうはちきん)でのう、しかも『6面ダブル喜平』という凝った造りになっております。新品(あら)でございますが、この仕上がり、なかなかのものかと」
男の言葉に、わしは渋々といった体(てい)で、その鎖を手に取ってみた。
「6面ダブル、喜平とな…」
指先でつまむと、ずしりとした確かな重み。12.34グラムと男は言ったか。重すぎず、軽すぎず、肌に吸い付くような滑らかさがある。そして、その構造じゃ。通常、喜平鎖は輪を繋いで90度ひねり、叩いて平面を作るが、これは一つの輪に二つの輪を通し、さらに上下左右の6つの面にカットを施してあるという。ダブルで編み込まれているため密度が高く、光を反射する面が多い。なるほど、この複雑な光の乱舞は、そこから生まれるのか。
「ふむ…」
わしは思わず唸った。陶芸の世界でも、土を練り、形を作り、釉薬をかけ、焼成する。その一つ一つの工程に職人の技と魂が込められる。この金鎖もまた、金属という素材を相手に、寸分の狂いもなく編み上げ、磨き上げるという、まさに職人技の結晶ではないか。
「この幅、3.10ミリか。細すぎず、太すぎず、嫌味がない。そして長さは45センチと申したな。なるほど、これなら男女問わず、首元を品よく飾るに違いない」
その時、ふと、わしが若い頃に心血を注いで作り上げた「金彩椿文大鉢(きんさいつばきもんおおばち)」のことを思い出した。黒織部の地に、金の絵付けで大胆に椿を描いた作品じゃ。あの時、わしは金の持つ不変の輝きと、それを用いることの難しさを痛感した。金は、使い方を誤れば下品になる。しかし、その特性を理解し、品格をもって扱えば、これほど美しく、人の心を豊かにするものはない。
「この鎖、見れば見るほど、その造形美に引き込まれるわい。6面に施されたカットが、まるで計算され尽くした結晶構造のように光を捉え、そして放つ。わしが作る織部の緑釉や志野(しの)の緋色(ひいろ)が、窯の炎の中で偶然と必然の間に生まれるように、この鎖の輝きもまた、計算された技巧の果てにある必然の美じゃな」
男は我が意を得たりとばかりに頷く。
「おっしゃる通りでございます、先生。この輝きは、まさに一生ものでございます。しかも新品(しんぴん)でございますれば、これから持ち主の方と共に、歴史を刻んでいくわけでございます」
新品、か。それもまた良い。誰の手にも触れていない、まっさらな状態から、持ち主の肌に馴染み、その人の生き様を映し出すように、少しずつ風合いを増していく。それは、わしが丹精込めて作った器が、使い手によって育てられ、より深い味わいを増していくのと似ておる。
「ふむ。この鎖に合わせるならば、やはりそれ相応の料理と器が肝要じゃろうな」
わしは想像を巡らせた。例えば、そうじゃな、春ならば初鰹(はつがつお)。銀皮を残して藁(わら)で焼き締め、厚めに引いて、土佐の天日塩と新玉葱のスライスで食す。器は、わしが手掛けた備前(びぜん)の叩き皿が良い。荒々しい土の肌合いが、鰹の力強さと金の輝きを引き立てるだろう。
あるいは、秋ならば松茸の土瓶蒸し。蓋を開けた瞬間に立ち上る芳醇な香りと共に、この金鎖を身に着けた粋人(すいじん)が、おもむろに猪口(ちょこ)に汁を注ぐ。その手元で、金鎖がほのかに揺らめく。ああ、目に浮かぶようじゃ。
「これ、F4004という型番が付いておるそうじゃが、そんな無粋な呼び名はどうでもよい。重要なのは、このK18という素材の確かさ、6面ダブルという技巧の高さ、そして、身に着けた者を内面から輝かせる品格じゃ。12.34グラムという重みは、確かな存在感と心地よい装着感を与え、45センチという長さは、どのような装いにも自然に調和する。3.10ミリという幅は、決して主張しすぎることなく、しかし確かな存在感を放つ。まさに『用の美』を体現しておるではないか」
わしは立ち上がり、窓辺にその鎖をかざしてみた。朝の光を受けて、黄金色の粒子がキラキラと舞うように輝き、それはまるで生命を宿しているかのようじゃった。
「これほどの品、ただの装飾品として片付けてはならん。これは、持つ者の審美眼を映す鏡であり、日々の暮らしに豊かさと彩りを与える、小さな芸術品じゃ」
この鎖を見ておると、わしがかつて訪れた京都の老舗料亭の女将を思い出す。彼女はいつも、季節の花をさりげなく床の間に活け、客人の好みに合わせて器を選び、料理の細部にまで心を配っていた。彼女の首元には、いつも品の良い小さな金の首飾りが輝いておった。それは決して華美なものではなかったが、彼女の凛とした佇まいと、もてなしの心を表しているかのようじゃった。
「ユニセックス、と申したな。男が着ければ粋に、女が着ければ艶やかに。この鎖は、持ち主を選ばない。むしろ、持ち主の魅力を最大限に引き出す力を持っておる。K18の金無垢というのは、その純粋さゆえに、どのような個性とも調和するのじゃろう。ごまかしのきかない本物の輝き、それがここにある」
わしは古美術商の男に向き直った。
「良いものを見せてもらった。この鎖は、分かる者には分かる逸品じゃ。これみよがしな派手さはない。しかし、そこには確かな技術と、時代を超えて愛される普遍的な美しさがある。まさに、わしが追い求める美の世界と通ずるものがあるわい」
陶芸もまた、土という素朴な素材から、人の手と炎の力によって、永遠の美を生み出す営みじゃ。この金鎖もまた、金という貴金属を用い、人間の知恵と技によって、これほどまでに洗練された形を与えられた。それは、単なる物質的な価値を超えた、精神的な豊かさをもたらすものに相違ない。
「さて、この『F4004』という記号で呼ばれる、K18、6面ダブル喜平、45センチ、12.34グラム、3.10ミリ幅のネックレス。新品(あら)という輝きも眩しいこの逸品。とやらに出すそうじゃな。物には、それを持つにふさわしい人間がおる。この鎖もまた、新たな主(あるじ)を待っておるのじゃろう。その主が、この鎖の真価を理解し、日々の生活の中で慈しみ、共に時を重ねていくことを願ってやまないのう」
わしはそう言うと、名残惜しそうにその鎖を桐箱に戻し、男に返した。
「これを手にする者は幸運じゃ。何故なら、本物だけが持つオーラと、職人の魂が込められた品を身に着ける喜びを知ることになるからのう。ふん、わしが言うのだから、間違いないわい」
アトリエには、再び土と向き合うわしの姿だけが残った。しかし、あの黄金の輝きは、しばらくの間、わしの脳裏に焼き付いて離れなかった。それは、まるで良質な抹茶を味わった後のような、深く、そして心地よい余韻であった。