
◆◆◆真田三代 幸隆・昌幸・幸村 その強さの秘密に迫る◆◆◆
ー徹底解剖!真田三代「戦いの系譜」ー
(発行年月日)2016年3月1日
(発行所)株式会社ダイアプレス
(定価) 780円
(ページ数) 95ページ
(目次)簡単に記載致します。ご参考になさって下さい。
【第一章】真田三代の系譜
●真田幸村 家康を最も恐れさせた日本一の兵
・実は苦労人だった?若き日の幸村
・徳川を相手に獅子奮迅の大活躍
・幸村は伝説とのり現在も語り継がれる
●真田昌幸 家康の天敵とも言うべき謀将
・生き残りをかけた昌幸の変わり身
・合戦においては策略で大軍を翻弄
●真田幸隆 信玄の頭脳となった真田三代の祖
・幸隆も得意の謀略は真田のお家芸
・武田軍団の中核をなし真田三代の礎を築く
●真田信之 父や弟に引けを取らない知謀の男
・父や弟と決別して家康の信頼を獲得
(真田一族 戦いの系譜)
●第一次上田合戦
・真田軍1200VS徳川軍7000
●第二次上田合戦
・真田軍3500VS徳川軍38000
●大阪 冬の陣
・大阪方10万VS徳川軍20万
●大阪 夏の陣
・大阪方7万8000VS徳川軍15万5000
○コラム 実は死に絶えていなかった!日本一の兵・真田幸村の血統
【第二章】真田三代「十の決断」
●真田幸隆、武田信玄の配下となる
・浪人となった幸隆は武田信玄を選んだ
・信玄ではなく憲正を選んでいたら その後の真田一族の繁栄はなかった
●真田昌幸、武田からの離脱を決意
・武田の新当主となった勝頼と真田との関係
・沼田領を手に入れて昌幸は自立を考え始める
・当初ほ昌幸とは密月だった勝頼だが次第に微妙な距離ができてゆく
●武田家滅亡後、昌幸は信長につく
・戦国最強の武田軍団も最後はあっけなく
・信長の傘下に組み込まれ領土を安堵される
・信長について領地を守った昌幸は武田家の滅亡を予見していた?
●信長没後、北条から徳川へ乗り換える
・徳川・北条・上杉による三つどもえの争奪戦に
・混乱の中をしたたかに立ち回った昌幸
・本能寺の変による混乱にも動ぜず昌幸は速やかに旧領を回復する
●昌幸、家康と戦うことを決意する
・家康から有利な条件を引き出した昌幸
・家康は北条と同盟 その条件が禍根を残す
・北条と秤にかけて家康を選んだ昌幸 約束が履行されないと牙をむいた
●昌幸、豊臣秀吉に接近する
・北条、徳川、上杉と行ったり来たり
・上杉よりも大きな豊臣の傘下となった昌幸
・豊臣政権で正式に大名として認められる
・天下統一を目前にした大物・秀吉を大胆にもバックにつけた昌幸
●昌幸・幸村ほ西軍、信之は東軍につく
・秀吉と家康、二本のパイプを維持していた真田
・しんぼうえんに長けた昌幸もこの時ばかりは悩みに悩んだ
・究極の選択を迫られた真田親子だが家名を残すためには仕方がなかった
●真田幸村、大坂城へ入城する
・希代の謀将・真田昌幸は死の直前まで策士だった
・流人として終わるのは我慢がならなかった幸村
・幸村が敵に回ったと知り家康はふるえ出した
・流人として朽ち果てていく自分に再び光を当てた秀頼の恩を重んじた
●大阪冬の陣、幸村は真田丸を築く
・幸村は父の置き土産である積極策を提案するが・・・
・現在のイメージほどに歴然の将ではなかった幸村
・積極策が受け入れられなかったため真田丸はいわば苦肉の策だった
●大阪夏の陣、幸村は家康の首を狙う
・幸村の首を前にして家康は何を思ったか?
・家康が最も恐怖した男・真田幸村は家康が最も高く評価した男でもある
○コラム 真田家ゆかりの地をめぐって、第三次上田合戦が勃発?
【第三章】真田幸村伝説のウソ・ホント
●「真田幸村」という武将はいなかった?
●真田幸村は颯爽とした荒武者だった?
●真田家の旗印は代々「六文銭」だった?
●実は幸村は信之の弟ではない?
●幸村が生まれたのは永禄10年(1567)だった?
●真田隊は赤備えの甲冑を着用していた?
●幸村ほ鹿角の兜を愛用していた?
●幸村の故郷は信濃国真田郷だった?
●幸村は御屋敷公園に住んでいた?
●昌幸と幸村は九度山という山に隠棲した?
●真田十勇士は幸村の配下として活躍した?
●幸村は大阪夏の陣で討ち死にしていなかった?
●真田幸村勢は本当に「日本一の兵」だった?
○コラム 大阪夏の陣から250年後に果たされた真田勢のリベンジ
【第四章】真田一族にまつわる武将たち
●真田信綱
・信綱が戦死しなかったら真田家の歴史は違っていた?
●真田昌輝
・父と兄を助けて活躍するも長篠の戦いで討ち死にした次男坊
●武田信玄
・幸隆によって勢力拡大した戦国の雄も上洛の途上で無念の病死
●村上義清
・信玄の信濃侵攻を阻止するも真田幸隆の調略に敗れる
●山本勘助
・甲陽軍鑑にのみ登場する武田軍団の謎多き天才軍師
●上杉謙信
・川中島の戦いでは、妻女山で幸隆・信綱とも一戦交えたか
●武田勝頼
・昌幸の進言を聞き入れなかった勝頼
・長篠の大敗で真田兄弟を失い滅亡への道を転げ落ちた武田
●馬場信春
・武田軍団きっての猛将も信綱、昌輝と長篠で散る
●山県昌景
・兄の謀議を信玄に訴えた果断な男
●内藤昌豊
・地味な役割もこなす武田軍団の副将
●織田信長
・天下統一を間近に本能寺の変で劇的な死
●北条氏政
・北条の致命傷になった真田領の略奪
●北条氏直
・伊達・徳川と結べば秀吉に対抗できると甘い夢を見たか
●徳川家康
・海道一の弓取りと称される戦上手な家康も真田には弱い
●鳥居元忠
・関ヶ原の前哨戦では伏見城に籠城し壮烈に散った
●大久保忠世
・10歳年長の忠世は、家康の初陣から小田原攻めまで従軍
●豊臣秀吉
・天下を狙う秀吉にとって好機となった沼田領の紛争
●石田三成
・犬伏の陣に決起の書状を送り真田親子の決別を強いた
●徳川秀忠
・関ヶ原の戦いに遅参したのは歴史に残る秀忠の大失態
●本多正信
・家康の絶大な信頼を得た側近 狡猾な謀略は正信の献策か?
●榊原康政
・戦場では常に先陣を切って猛進 品性にも優れた武将
●大久保忠隣
・次第に退けられた戦場の勇将たち
●本多忠政
・上田城で足止めされて関ヶ原の戦い 功績を残した大阪
の陣
●仙石秀久
・戦場から逃げ出して改易され小田原征伐で名誉挽回
●豊臣秀頼
・幸村とともに脱出し鹿児島で生存していた?
●淀殿
・気の強さで豊臣を滅ぼしたそのヒステリーは血筋ゆえか
●後藤又兵衛
・全国にその武勇を知られる大阪の陣における幸村の盟友
●長宗我部盛親
・関ヶ原では戦わずして逃亡 大阪の陣でも奮戦むなしく・・・
●木村重成
・美しい死に様にこだわった豊臣方のイケメン武将
●明石全登
・大阪の陣に参加した真意は キリシタン弾圧への対抗か?
●薄田兼相
・酒に溺れて大失態を演じるが最期は壮絶な死に花を咲かす
●真田信昌
・幸村を寝返らせるために家康が差し向けたのは叔父貴
●伊達政宗
・大阪夏の陣で真田幸村と対峙する
●片倉重長
・敵将ながら、幸村がこの男と惚れ込んだ知謀兼備の勇将
●阿梅
・幸村の娘は片倉家の女となり賢夫人として家を支えた
●真田三代をめぐる人物相関図
●真田三代の戦国年表
○コラム 「真田十勇士」とは何物か?
・虚々実々の物語こそ十勇士の人気の秘密
・まったくの作り話ではなく十勇士のモデルが存在する
・・・他
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