以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです〜〜
C9808 逸品【三代目光一作】純金製 香炉 黄金の刻、伽羅の夢、そして美への飽くなき渇望
ふんっ。またぞろ古美術屋の若造が、薄ら笑いを浮かべて儂(わし)の庵(いおり)を訪ねてきおったわ。「旦那、旦那、こりゃあ旦那でなけりゃ価値の分からん代物でさあ」などと、口先三寸で儂をおだて上げようという魂胆が見え透いておる。北大路魯山人だか何だか知らんが、儂はただの食いしん坊で、気に入らんものは断固として気に入らん、ただそれだけの爺じゃ。しかし、奴が持参した桐の箱から漏れ出る尋常ならざる気配には、ちと心が騒いだのも事実。まあ、見てやるだけ見てやろう。
「…ほう」
箱が開けられた瞬間、儂の眉がぴくりと動いたのを、若造は見逃さなかったであろう。そこにあったのは、単なる黄金ではない。それは、凝縮された太陽の如き、あるいは深淵なる宇宙の星屑を鋳込んだかのような、圧倒的な存在感を放つ「香炉」であった。
序章:邂逅、あるいは古今の粋との対峙
「これなるは『三代目光一』の手になりまする純金製の香炉。重量は実に520グラムを超えまして…」
若造の能書きなど、右から左へ聞き流す。儂の全神経は、目の前の小さな巨人へと注がれておった。
純金、か。巷に溢れる、ただ金ピカなだけの成金趣味の代物とは、明らかに「格」が違う。これは、金という素材の絶対的な力を、人間の叡智と技がギリギリのところで御(ぎょ)し、美へと昇華させた、稀有な成功例じゃ。
その肌を見よ。無数の突起が、まるで古(いにしえ)の武将が纏う鎧の小札(こざね)のごとく、あるいは龍の鱗のごとく、力強く、そして有機的に全体を覆っておる。一つ一つの突起が、計算され尽くした不均一さをもって配置され、光を受けるたびに複雑怪奇な陰影を生み出す。そして、その上に鎮座する蓋。繊細にして大胆な透かし彫り。そこから馥郁(ふくいく)たる伽羅の香りが立ち上る様を想像するだけで、儂の鼻腔は疼き、魂は千年の時を遡るような錯覚に陥る。
「…若造、手袋を」
儂はぶっきらぼうに命じた。素手で触れるなど、このような真物(しんぶつ)に対しては冒涜というものじゃ。手袋をはめ、そっと香炉を掌(たなごころ)に乗せる。
「ぐっ…!」
思わず息を呑むほどの重量感。520.14グラム。この数字が、これほどのリアリティをもって儂の腕に迫ってくるとは。この重みこそが、まず何よりも雄弁に、これが紛い物ではないことを証明しておる。
底を検(あらた)めれば、「三代目光一作」の端正な刻銘。そして、いかめしい財務省の検定マーク。ふん、役人の極印なぞ、儂の審美眼の前には何の役にも立たんが、まあ、世間様への通り手形としては有効であろう。素材が正真正銘の純金であることの、これ以上ない証明じゃ。
これは、ただの道具ではない。美術品であり、精神の器であり、そして、日本の美意識の結晶じゃ。このような物と出会えるとは、長生きはするもんじゃな。さあ、この小さな巨人との、美を巡る真剣勝負の始まりじゃ。
第一章:純金という呪縛と祝福 素材への畏敬
金。この蠱惑的な金属は、古来より人類を魅了し、時に破滅へと導いてきた。その輝きは、権力と富の象徴であり、また、永遠性のメタファーでもあった。
しかし、儂ら芸術を志す者にとって、金は扱いの難しい素材じゃ。その圧倒的な素材力に頼り切れば、ただの金塊の置物に成り下がる。金の品位を損なわず、それでいて作者の個性を刻み込む。これこそが金工作家の腕の見せ所じゃ。
この香炉の金の色を見よ。巷の金メッキのような、安っぽい、薄っぺらな黄色ではない。赤みがかった山吹色とでも言おうか、深く、しっとりとした、それでいて内側から発光するような、気品に満ちた黄金色じゃ。純金だからこそ、余計な混ぜ物がなく、金本来の美しさがストレートに現れる。
表面の突起の一つ一つに光が当たり、乱反射し、陰影が生まれる。この輝きは、決して派手ではない。むしろ、抑制が効いておる。だが、その奥に秘められたエネルギーは、見る者を圧倒する力強さを持つ。
魯山人が陶芸で土と格闘したように、この「三代目光一」なる人物もまた、金という素材と真摯に向き合い、格闘したに相違ない。この香炉の肌からは、作者の指先の感触、鏨(たがね)を打つ槌音、そして燃え盛る炉の熱気までが伝わってくるかのようじゃ。
「良い仕事は、素材を殺さず、素材を生かす」。これは儂の持論じゃが、この香炉はまさにその言葉を体現しておる。純金という最高の素材の力を最大限に引き出しつつ、それを芸術の域にまで高めておる。これは、単なる職人技ではない。素材への深い理解と畏敬の念、そしてそれを超克しようとする芸術家の強靭な意志があって初めて成し遂げられる偉業じゃ。
第二章:肌合いの宇宙、あるいは龍の胎動 霰か、星か、生命の根源か
さて、この香炉の最大の見どころの一つは、何と言ってもこの胴部の肌合いじゃろう。
「霰(あられ)打ち」と呼ぶにはあまりに力強く、そして有機的じゃ。一つ一つの突起が、まるで意思を持っているかのように、微妙に大きさや形を変えながら、規則性と不規則性の間を揺れ動くように配置されておる。
これは、古の鏡の背にある神獣鏡の乳(にゅう)のようでもあり、あるいは仏像の螺髪(らほつ)を想起させもする。だが、それらとは明らかに異なる、独自の生命感を宿しておる。
この肌合いは、何を表現しているのであろうか。
儂には、これがまるで、地中深くで胎動する龍の鱗、あるいは、今まさに殻を破って生まれ出ようとする鳳凰の卵の表面のように見えるのじゃ。内に秘めた強大なエネルギーが、表面にまで漲(みなぎ)り、このような力強い造形を生み出したのではないか。
この凹凸は、光と影の無限の戯れを生み出す。朝の光、昼の光、夕暮れの光、そして蝋燭の炎の揺らめき。それぞれの光の下で、この香炉は全く異なる表情を見せるであろう。飽きることがない。それどころか、見るたびに新たな発見があり、その奥深さに引き込まれていく。これぞ真の美術品が持つ魔力じゃ。
「用の美」という言葉があるが、この香炉の肌合いは、まさに「観賞の美」と「触覚の美」が高次元で融合しておる。ただ眺めるだけでなく、実際に手に取り、その重みを感じ、指先でこの凹凸を確かめることで、初めてその真価が理解できる。
三代目光一は、この肌合いに何を託したのであろうか。おそらく、言葉では表現しきれない、宇宙の根源的な力、生命の神秘、あるいは人間の内なる情念のようなものを、この純金の肌に刻み込もうとしたのではあるまいか。
第三章:蓋に舞う鳳凰の息吹 透かし彫りの玄妙
香炉というものは、胴もさることながら、蓋が肝心じゃ。蓋は、香煙が外界へと旅立つ門であり、また、香りの質を左右する重要な装置でもある。この香炉の蓋は、胴部の力強さとは対照的に、どこか優美で、天空を舞う鳳凰の羽衣を思わせるような軽やかさを持っている。
ドーム状の蓋に施された透かし彫り。これがまた、実に見事な仕事じゃ。
渦巻く雲のようでもあり、あるいは燃え盛る炎のようでもある、流麗な文様。よく見ると、それは単なる装飾ではない。計算され尽くした煙の通り道なのじゃ。孔の大きさ、形状、配置。その全てが、香煙を最も美しく、そして効果的に立ち上らせるために考え抜かれておる。
この透かし彫りは、光と影の芸術でもある。蓋を通して内部の暗がりが垣間見え、それがまた奥行きと神秘性を生み出しておる。そして、実際に香を焚いた時、この孔からゆらゆらと立ち上る一筋の白煙は、さぞかし幽玄で美しいことであろうな。
純金という素材で、これほど繊細かつ大胆な透かし彫りを施すのは、並大抵の技術では不可能じゃ。鏨(たがね)の一打ち一打ちに、全神経を集中させねばならん。この蓋には、そのような極限の緊張感の中で生まれた、凛とした美しさがある。
そして、蓋と胴の「合い」。寸分の狂いもなく、吸い付くようにぴたりと閉まる。この精緻な作り込みこそ、名工の証。この蓋は、単なる「ふた」ではない。それは、香りの世界への「扉」であり、また、その世界を荘厳に演出するための「舞台装置」でもあるのじゃ。
第四章:三代目光一という孤高の星 銘に刻まれし魂
さて、この香炉の作者「三代目光一」。儂も寡聞にして、その名を詳細には存じ上げぬ。しかし、この作品を見れば、その人物がどのような芸術家であったか、おのずと見えてくるというものじゃ。
「三代目」というからには、そこには初代、二代と受け継がれてきた血と技の系譜があるはずじゃ。三代目光一は、その重圧を見事に跳ね返し、伝統と革新を止揚させた、稀代の鬼才であったと言わざるを得ん。
この胴部の荒々しいまでの力強さと、蓋の繊細極まりない優美さ。この両極端とも言える要素を、一つの作品の中で完璧に調和させておる。これは、並の感性では到底なしえぬこと。
銘の一文字一文字も、力強く、迷いがない。そこには、自らの仕事に対する絶対的な自信と、美へのゆるぎない信念が漲っておる。彼は、おそらく華やかな表舞台に立つことを好まず、ただひたすらに自らの信じる美を追求し続けた、孤高の求道者ではなかったか。
偽物や凡作が溢れるこの世の中で、このような「本物」に出会える喜びは何物にも代えがたい。三代目光一の名は、歴史の教科書には載っておらんかもしれん。しかし、この作品こそが、彼の名を不滅のものとするであろう。
第五章:伽羅薫る黄金の刻(とき) 五感の饗宴
さて、いよいよこの香炉の真骨頂を発揮させる時じゃ。そう、香炉は香を焚いてこそ、その生命が吹き込まれる。そして、この純金製の香炉で焚くべきは、やはり「伽羅(きゃら)」をおいて他に考えられまい。
伽羅。沈香の中でも最高峰に位する、幻の香木。その香りは、甘く、辛く、苦く、酸っぱく、そして微かな塩味をも感じさせる、まさに五味を超越した複雑玄妙なものじゃ。
この純金製の香炉は、金が化学的に極めて安定しており、余計な匂いを一切発しないため、伽羅が持つ本来の香りを、一点の曇りもなく、ストレートに引き出してくれるはずじゃ。
想像してみよ。
静寂に包まれた茶室。床の間には、この黄金の香炉が、まるで小さな太陽のように鎮座しておる。丁寧に熾した炭団を灰に埋め、銀葉を敷き、その上に爪の先ほどの伽羅を乗せる。やがて、炭の熱がじんわりと伽羅に伝わり始めると…おお、来た来た。まず、清冽な、それでいてどこか甘い香りが、鼻腔をかすめる。そして、徐々に複雑な香りが立ち上がり、層を成して空間に満ちていく。
蓋の透かし彫りから、ゆらゆらと立ち上る一筋の白煙。その光景を目で追いながら、深く息を吸い込む。
ああ、この香り…!これは、単なる「良い匂い」ではない。これは、記憶を呼び覚まし、感情を揺さぶり、精神を異次元へと誘う「媚薬」じゃ。
この香炉で伽羅を焚くという行為は、日常の些事を忘れ、自己の最も深い部分と向き合うための、神聖な儀式なのじゃ。それは、魂の饗宴であり、精神の洗濯でもある。この香炉を持つ者は、そのような「黄金の刻」を、いつでも意のままに手に入れることができるのじゃ。
第六章:時代を超越する不滅の価値 美と資産、そして文化の継承
この純金製香炉「三代目光一作」。その価値は、一体どこにあるのか。
まず、「美術品」としての価値じゃ。素材、意匠、技巧、そして作者の精神性、その全てにおいて第一級の品である。美術館のガラスケースに収まっていても何ら不思議はない。そのような至宝を、個人が所有し、日々の生活の中で愛で、使うことができる。これ以上の贅沢があろうか。
次に、「歴史的・文化財的価値」。この作品が存在すること自体が、ある時代の日本の工芸文化が到達した高みを雄弁に物語っておる。この香炉は、過去と現在、そして未来を繋ぐ、一つの生きた文化遺産としての価値も秘めておるのじゃ。
そして、現実的な「資産価値」。520.14グラムの純金。これは、国際的に認められた普遍的な価値を持つ、確固たる現物資産そのものじゃ。美術品としての付加価値に、純金としての揺るぎない価値が加わる。その価値は、いかなる時代の変転にも耐えうる、不滅の輝きを放ち続ける。
しかし、儂が最も声を大にして訴えたいのは、これらの目に見える価値の奥に潜む、目に見えない「精神的価値」じゃ。それは、この香炉を所有し、使うことで得られる、計り知れない心の豊かさ、審美眼の涵養、そして精神の昂揚。これらは、金銭には到底換算できぬ、人生を真に豊かにする価値なのである。
この香炉は、単なる「モノ」ではない。それは、歴史と文化と芸術、そして人間の叡智と情熱が、純金という永遠の素材に凝縮された「魂の結晶」なのじゃ。
終章:真物を継ぐ者への遺言
ふぉっふぉっふぉ。いやはや、長々と語り散らしてしもうたわい。これほどの逸品を前にすると、儂のような偏屈爺でも、饒舌にならざるを得んのじゃ。
この純金製香炉「三代目光一作」。まこと、千載一遇、国宝級と言っても過言ではない名品じゃ。
このような至宝を手にするにふさわしいのは、どのような人物であろうか。
単に金に糸目をつけぬ大金持ちでは、この香炉は真に喜ぶまい。必要なのは、まず何よりも「美に対する貪欲なまでの探求心」。そして、日本の伝統工芸に対する深い「畏敬の念」。さらには、香道という奥深い精神文化を「生活の中で実践する覚悟」。そのような、真の数寄者(すきもの)、真の好事家(こうずか)こそが、この香炉の新たな主(あるじ)となる資格がある。
若造は、この香炉を「」なる現代の電子市場に出品するという。ふん、時代の趨勢とはいえ、少々味気ない気もするがな。しかし、それもまた一興か。願わくば、この儂の拙い語りが、画面の向こうにおられるであろう、真の「眼」を持つ人物の心に届かんことを。そして、この香炉が、その価値を真に理解し、心から愛し、大切に受け継いでくれるであろう新たな主の元へと、無事に嫁ぐことを、切に願うばかりじゃ。
この香炉を手にするということは、単に高価な美術品を一つコレクションに加えるのではない。
それは、「三代目光一」という孤高の芸術家の魂を受け継ぎ、日本の美の系譜にその名を連ねるということ。そして、純金という永遠不滅の輝きと、伽羅という至高の香りが織りなす、筆舌に尽くしがたい極上の時間を、未来永劫にわたって享受する権利を得るということ。
重さ520.14グラム。幅およそ10センチ、高さ7センチ。
この凝縮された黄金の小宇宙に秘められた、深遠なる物語と、燃えるような美を、どうかその五感、いや六感の全てで感じ取っていただきたい。
ふぉっふぉっふぉ。さて、儂もそろそろ、行きつけの寿司屋で、旬の魚と極上の燗酒でもやるかのう。旨いものを食い、美しいものを愛でる。人生の喜びは、案外そういう単純なものの中にこそあるのかもしれんな。
この香炉が、あなたの人生に、そのような真の豊かさと、黄金色の輝きをもたらさんことを、心から祈っておるぞ。
これにて、魯山人おじの戯言は仕舞いじゃ。ご清聴、誠にかたじけなく、そして、この香炉との良き縁があらんことを。
【商品のスペックまとめ】
【ご入札にあたっての魯山人おじからのお願い】
本品は、単なる金塊ではございません。日本の美意識と職人魂の結晶たる美術工芸品でございます。その価値をご理解いただける、真の数寄者の方のご入札を心よりお待ち申し上げております。
小説風商品説明は、この香炉の持つ多層的な魅力を余すところなくお伝えするための、儂なりの試みでございます。三代目光一に関する記述は、現存するこの作品から儂が読み解いた魂の軌跡であり、多分に創作的推察を含みますることをご承知おきください。
まことに高額な御品ゆえ、些細なことでもご不明な点がございましたら、入札前になんなりとご質問ください。儂が答えられる範囲で、誠心誠意お答えいたしましょう。
この香炉との出会いが、あなたの人生を豊かに彩る、かけがえのないものとなりますように。