劇中曲
ここでは、映画本編に登場する曲をストーリーに沿って順に記載。曲名及び歌手名は主にエンドロールから。実際の歌手本人たちによる音源が使用されているものには、ここでは曲名に続けて★で表記[9]。
「パイプライン」(Pipeline)★
作中では、ベンチャーズの曲として取り上げられている。元は1963年にサーフ・ロック・バンドのシャンテイズが発表した曲。
クレジットタイトルでベンチャーズの映像と共にこの曲が流れるほか、作中で竹良たちのバンドが何度か演奏する。
「ホフマンの舟歌」
作曲:オッフェンバック
高校入学前の春休みに、竹良が自室で杉基のヴァイオリンで弾く。
「アイル・ビー・ホーム(英語版)」(I'll Be Home)★
1956年にパット・ブーンがカバーした曲とされる。
上記の曲をヴァイオリンで弾いた竹良が、直後に自室のラジオでこの曲を聴く。
「祖谷の粉挽き唄」
徳島県の民謡。
竹良が道路を隔てて「神戸屋」のショーウィンドウにあるエレキギターを見ていると、宣伝カーがこの曲をかけながら目の前を通り過ぎる。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around the Clock)★
1954年にビル・ヘイリー&コメッツが発表した曲。
竹良が自室のラジオでこの曲をかけ、一緒に歌いながら机に向かって何かをしている。
「ドライビング・ギター」(Driving Guitars)
ベンチャーズの曲。
軽音楽部に所属する清一が、出会ったばかりの竹良から「ちょっと音を聴かせてくれん?」と頼まれ、持っていたギターで演奏する。
「福知山音頭」
京都府の民謡。
清一の部屋でこの曲のレコードを見つけた竹良が、「誰のコレクション?」と尋ねるシーンで使われる。
「しゃぼん玉飛んだ」★
童謡。作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:岩田さちこ
自宅の仏壇を前に絹江が竹良に、亡くなった長女・なでしこの思い出話を語るシーンで使われる。
「カー・クレイジー・キューティ」(Car Crazy Cutie)★
ロック・グループのザ・ビーチ・ボーイズが1963年に発表した曲(アルバム「リトル・デュース・クーペ」)。
ある日竹良が、自室のラジオでこの曲をかけながら出かける準備をする。
「ウーリー・ブリー(英語版)」(Wooly Bully)★
1965年にサム・ザ・シャム・アンド・ザ・ ファラオス(英語版)が発表したとされる曲。
竹良と清一がイナダ農機でバイトするシーンで使われる。
「慕情」(Love Is a Many-Splendored Thing)★
元は1955年の同名映画でナット・キング・コールが歌唱した主題歌だが、本作ではポップス・ヴォーカル・トリオであるレターメンのカバーが使われている。
清一への恋をあきらめためぐみの、約20年後までの恋愛模様のダイジェスト映像で使われる。
「あなたまかせの夜だから」
作詞:青江ひとみ、作曲:野村旬平/原曲は、1971年に大木英夫と二宮善子がデュエットした曲。
約20年後のめぐみが、男性(原作者)とカラオケでこの曲をデュエットする。
「美しい十代」★
作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正/1963年に三田明が歌唱した曲。
竹良と清一が自転車で橋を渡るそばを宣伝カーがこの曲を流しながら走り抜ける。またその後恵美子のために巧がこの歌を練習する。
「バラ色の雲」★
作詞:橋本淳、作曲:筒美京平/1967年にヴィレッジ・シンガーズが歌唱した。
竹良たちが「神戸屋」で楽器を購入し持って帰るために自転車に乗せる作業中、前の道を宣伝カーがこの曲を流しながら通り過ぎる。
「パサディナのおばあちゃん」(The Little Old Lady “from Pasadena”)★
1964年に男性デュオであるジャン&ディーンが発表した曲。
竹良たちが、楽器購入後にバンドで初練習をすることになりウキウキしながら練習場所に向かうシーンで使われる。
「潮来笠」★
作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正/1960年に橋幸夫が歌唱した曲。
竹良たちが富士男の自宅で初めてちゃんとした楽器でバンド練習を始めようとする頃、寺の前の道を宣伝カーがこの曲を流しながら走り抜ける。
「ウォーク・ドント・ラン」(Walk, Don't Run)“急がば廻れ”
原曲は、ジョニー・スミスが作曲した曲を1960年にベンチャーズがサーフ・アレンジしてヒットした曲とされる。
富士男の父からお経の邪魔になるため他所で練習するよう叱られた竹良たちが、空き地に移動してこの曲を練習する。
「ダイアモンド・ヘッド」(Diamond Head)
原曲は、1965年にベンチャーズが発表した曲。
上記の後練習場所を探す竹良たちが、電気灯籠から電源を借りて緩やかな階段(琴弾八幡宮の境内)でこの曲を演奏する。
「長崎の女」★
作詞:たなかゆきを、作曲:林伊佐緒/1963年に春日八郎が歌唱した曲。
職員室で寺内が竹良に洋楽の楽譜をプレゼントした後、「若い頃は外国のものがよく見えた時期もあったが、今は洋楽より日本の歌の方が好きになった」と言って、この歌を口ずさむ。また、寺内と桃子が学校の階段の踊り場のシーンで春日の音源が使われる。
「モナ・リザ」(Mona Lisa)★
元は1950年の映画「別働隊(英語版)」でナット・キング・コールが歌唱した主題歌だが、本作ではマントヴァーニ・オーケストラの演奏が使用されている。
竹良が初めて谷口家に遊びに行った時など、静夫の部屋のシーンで数回使われる。
「いとしのパオラ」(Dolce Paola)★
1965年にサルヴァトール・アダモが歌唱した曲。
竹良たちがバンド練習のため祖谷渓に訪れ、テントを張るシーンで使われる。
「ノッポのサリー」(Long Tall Sally)
原曲は、1956年にリトル・リチャードが発表した曲。
竹良たちが渓谷で夜に火を焚きながらこの曲を練習する。
「ソフトリー・ソフトリー」(SOFTLY SOFTLY)★
ザ・ナック(1960年代のバンド)(英語版)[10]が歌唱した曲。
竹良たちが祖谷でくすぐりあってから、眠りに落ちたシーンで使われる。
「さらばピアノよ」
竹良たちが高校2年に進級した春頃、高校の音楽室のピアノで桃子がこの曲を弾く。
「夏の思い出」
作詞:江間章子、作曲:中田喜直/1949年にNHKのラジオ番組で歌われ、その後広まった曲とされる。
竹良たちのバンドが高校の第二軽音楽部として練習場所を半分使えることになり、コーラス部員がこの歌を練習する中彼らがコーラス部の部室に機材を運ぶ。
「悲しき願い」(Don't Let Me Be Misunderstood)★
1964年にニーナ・シモンが歌唱した曲で、本作ではカバーであるアニマルズの音源が使用されている。
巧が人づてに恵美子にバンドの練習を見に来るよう誘い、その返事の手紙を彼が読むシーンで使われる。
「チェッチェッチェッ」
作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正/原曲は、1964年に橋幸夫が歌唱した曲。
部室でのバンド練習に女子生徒たちを集めて竹良が歌う。
「あなたでなければ」(I Don't Want to Walk Without You)★
1961年にジョニー・ソマーズ(英語版)が歌唱した曲。
恵美子の結婚後のエピソードで使われる。
「ジャンバラヤ」(Jambalaya“On The Bayou”)
原曲は、1952年にカントリー歌手のハンク・ウィリアムズが発表した曲。
久しぶりに帰省した杉基が、竹良からエレキギターを借りて「高校時代にこっそり練習していた曲」としてアンプなしの状態でうろ覚えで弾き語りする。
「ラウンチー(英語版)」(Raunchy)★
1957年にビル・ジャスティスが発表した曲。/ビリー・ヴォーン楽団による演奏が使われている。
スナック「ウェストビレッジ」でのクリスマス・開店イベントの当日、準備中のシーンで使われる。
「ジングルベル」(Jingle Bells)
世界的に有名なクリスマスソング。
クリスマスの日のスナック「ウェストビレッジ」の開店イベントでバンドデビューすることになった竹良たちが演奏する。
「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」(Hippy Hippy Shake)
原曲は、1959年にチャン・ロメオ(英語版)が発表した曲。
上記と同じく竹良たちが演奏する。
「オー・プリティ・ウーマン」(Oh, Pretty Woman)
原曲は、1964年にロイ・オービソンが発表した曲。
上記と同じく竹良たちが演奏する。
「センチになってよ」(I'm Getting Sentimental Over You)★
トミー・ドーシー楽団によって1932年に発表された曲。/ビリー・ヴォーン楽団による演奏が使われている。
上記のイベントで客たちが帰った後竹良が店のマスターと会話するシーン、続けて孝行と釣りに行くシーンで使われる。
「軍艦マーチ」
作曲:瀬戸口藤吉の日本の軍歌。この曲には歌詞もあるが、本作では曲のみの音源が使われている。
孝行と絹江が教師時代と思われる学校の運動会で、学生たちに混じって2人が参加した二人三脚の競技中に流れる。
「シーサイド・バウンド」
作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち/原曲は、1967年にザ・タイガースが歌唱した曲。
竹良が高校3年生になった頃、グループサウンズに憧れる下級生のバンドが軽音楽部の部室で演奏する。
「ジョニー・B・グッド」(Johnny B. Goode)
原曲は、1958年にチャック・ベリーが発表した曲。
ある雨の日に寺を借りて、文化祭で演奏する曲として竹良たちが演奏する。また、本作のエンドロールでは文化祭のステージで歌う竹良たちの演奏シーンが流れる。
「渚のデイト(英語版)」(Follow the Boys)★
1963年にコニー・フランシスが発表した曲。
高校3年生の夏休みの終わりかけに、幸代が藤原家に訪れるシーンで使われる。
「歌を忘れたカナリヤ」
作詞:西條八十、作曲:成田為三/1947年に日本の童謡「かなりや」から題名が『歌を忘れたカナリヤ』と改められ、唱歌となった。
幸代を待たせている間に竹良が海に出かける準備をしながら、この歌の一部を口ずさむ。
「ボーイハント」(Where the Boys Are)★
1960年にコニー・フランシスが発表した曲。本作では日本語歌詞によるものが使用されている。
竹良と幸代が海で泳ぐシーンで使われる
「恋のハレルヤ」★
作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦/1967年に黛ジュンが歌唱した曲。
竹良と幸代が砂浜に訪れた同時間帯に、この曲をかけながら宣伝カーの運転手と娘が休憩または仕事終わりに海水浴場に訪れる。
「けんかでデイト」(First Quarrel)★
1963年にポールとポーラ(英語版)が発表した曲。
幸代との海水浴デートを終えて竹良が帰宅し、玄関先で絹江と会話するシーンで使われる。
「銀座九丁目水の上」
作詞:藤浦洸、作曲:上原げんと/1958年に神戸一郎が歌唱した曲。
桃子の結婚式の食事の席で酒に酔った寺内が踊りながら歌う。
「フォーティ・デイズ」(Forty Days)★
1955年にチャック・ベリーが発表した"Thirty Days (To Come Back Home)"を、1961年にクリフ・リチャードがカバーしタイトルを変え発表した曲。(アルバム”21 Today")
竹良が文化祭の前夜から泊まり込みで準備するため、自宅から自転車で学校に向かうシーンで使われる。
「ラ・マルセイユ」
フランスの国歌
文化祭当日、体育館の壇上でフランスの物語らしき演劇の出し物が催され、何かの罪を犯した女の役を演じるめぐみがギロチンにかけられるシーンで使われる。
「太陽の彼方に」(Movin')
1964年にアメリカのロック・バンド、アストロノウツが発表した曲。
文化祭のステージに上がった竹良たちがパイプラインの演奏の後、続けて演奏する曲。
「アイ・フィール・ファイン」(I Feel Fine)
1964年にビートルズが発表した曲。
文化祭のステージで富士男がバンドのメンバー紹介をした後竹良たちが演奏する。
「高校三年生」★
作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実/1963年に舟木一夫が歌唱した曲。
1968年(竹良が高校3年生)の2月に宣伝カーの娘がこの曲をかけながら自ら運転する車で観音寺駅前で一旦停止した所 偶然駅にいた竹良と一瞬目が合う。