
安政細字一分銀 PCGS MS64です。
明治一分銀(!10年調査)
Bh(4枚)Bj(2枚)
Hb(39枚)Hh(52枚)Hj(16枚)
Jb(32枚)Jh(33枚)Jj(23枚)
Kb(3枚)Kh(23枚)Kj(16枚)
Mb(4枚)Mh(26枚)Mj(7枚)
合計280枚
玉一玉座(!10年調査)
Aa(2枚)Ae(4枚)Af(3枚)Ag(2枚)
Fa(14枚)Fe(4枚)Ff(13枚)Fg(1枚)
Ga(4枚)Ge(6枚)Gf(4枚)Gg(5枚)
合計62枚
入分玉座(!10年調査)
Aa(14枚)Ae(3枚)Af(18枚)Ag(10枚)
Fa(19枚)Ff(18枚)Fg(10枚)
Ga(44枚)Ge(3枚)Gf(20枚)Gg(16枚)
Ia(1枚)
Ma(3枚)Mg(2枚)
合計181枚
右短川常(!10年調査)
Ac(5枚)Ae(3枚)Aj(5枚)
Bc(1枚)Be(5枚)Bh(3枚)
Hc(1枚)He(3枚)Hh(8枚)Hj(5枚)
Kc(2枚)Kh(7枚)Kj(1枚)
Me(4枚)Mh(1枚)
合計54枚
亜鉛差系は1つの逆桜に複数の書体があるパターンが複数あったので、本座のルール違反と判断し、別座と判断。
右川常系は、本座のルールは守るが、残存数がすくなすぎること、銀質が60%以下ということで、別座と判断。
(2025年 10月 15日 20時 04分 追加)1.金座人が明治一分銀(東京、大阪含む)は亜鉛入りの劣位銀(銀質80%)という主張をして、それに基づいて、甲賀、沢田、浅井というボンクラ共が明治一分銀劣位銀伝説を広めた。
2.貨幣司包から銀質90~95%の明治一分銀が出たことで、金座人の発言は妄想であり、明治一分銀の銀質は安政一分銀と同じ90~95であることが判明した。
3.貨幣司包のものには川常のものがあり、これは明治一朱銀と同じ書体であるので、この貨幣司包から出たものは東京鋳造のものであると思われる。
4.大阪鋳造のものは、一般に玉座系と呼ばれるもので、玉座系のものに対応一朱銀がないのは、大阪長堀で一朱銀が製造されなかったからである。
(2025年 10月 15日 20時 17分 追加)亜鉛差系は、本座との判別方法(肌に彫りこまれた多数線の荒さ、文字の太さ、桜の大きさなど)を解説。品位も測定して、銀座のルールに抵触することから本座にはなりえないことを解説。
右川常系は、本座との判別方法(定の書体)、品位を測定して、残存数からも本座になりえないことを解説。
(2025年 10月 15日 20時 22分 追加)そもそも当時、諸外国から劣位金、劣位銀でものすごい苦情がきていたので、政府として交換所まで設けていたので、おもてだっては劣位のものは製造しなかったと思われる。裏で明治二分判金の劣位金は作っていたが、それについては、太政官編の復古記その他に記載されている。同文書で明治一分銀は製造数に記載はあったが、劣位については記載がなかった。認識していたら記載していたはずである。
万が一、右短川常や、亜鉛差が明治政府で製造されていたとすれば、それは極秘裏に記憶にのこさず製造されたものであると思われる。
(2025年 10月 16日 7時 35分 追加)まあ、亜鉛馬鹿の逃げ道なんてそんなくらいしかないかな。
金座人の否定された妄想に取りつかれ、正式な製造量から目を背け、太政官が書いた明治二分判金の劣位と製造量が書いてある同じページで明治一分銀には劣位について書いてない状況で、
「いや劣位でごわす」
「いや劣位でござる」
と涙目で言い訳する逃げ道を作るぐらいのやさしさは私は持っているつもりだ。
(2025年 10月 16日 8時 01分 追加)まあそのすがる金座人の妄言も銀質80%で東京、大阪だから、亜鉛馬鹿の大阪60%(右短川常、亜鉛差)以下主張ではないんだね。
すがるものも捻じ曲げて、なぜ亜鉛馬鹿は亜鉛にこだわるんだろうね。亜鉛で脳がダメージを受けているとしか思えないですね。