新装普及版 大型図録本 伊賀焼・信楽焼・丹波焼 作品集 写真集 解説 日本の陶磁 カラー210点227図
責任編集 林屋晴三
監修 谷川徹三・川端康成
扉題字 川端康成
中央公論社
1988年初版
141ページ
約34.5x26x1cm
作品写真図版フルカラー
ソフトカバー
※絶版
フルカラー大型図録本、伊賀焼・信楽焼・丹波焼古陶図鑑。
室町時代後期から江戸時代初期にいたる、桃山茶陶を中心とし伊賀焼・信楽焼・丹波焼の厳選された国内最高峰の優品をあつめて210点227図版を収録。
解説の本文中に窯印・陶印についても記載。(写真ではなく図解)
前半は桃山時代の典型的な作品をとりあげて鑑賞、後半では、時代を考慮しつつ各器種別に図版を配列・網羅して収録したもの。
「原色愛蔵版 伊賀・信楽・丹波 日本の陶磁」と掲載作品は同一で、内容を再編集・再構成した新装普及版。
デフォルメされた器形、土膚を流れ落ちる緑色のビードロ釉や、焦げ膚の豪快で寂然とした趣の伊賀焼。
素朴で力強い土膚が魅力の信楽焼。瀟洒な味わいの丹波焼。中世以来の三窯の桃山時代の作品を総合的に編集する。
フルカラー写真に加えて、巻末には全作品の寸法、制作技法ほか景色などの見どころ、伝来、来歴など詳細な解説を収載。
作品名については、全作品に英文表記あり。
【監修】
谷川徹三(昭和を代表する哲学者・国博物館次長・法政大総長等を歴任し、古今東西の思想・宗教・政治・文学・美術に及ぶ広範な評論活動を展開)
川端康成(小説家・文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍)
責任編集は
林屋晴三(日本陶磁史、とくに茶陶の研究を進めた東京国立博物館名誉館員。日々茶の湯を実践した数寄者、東京国立博物館次長、裏千家茶道資料館顧問、頴川美術館理事長、菊池寛実記念智美術館館長などを歴任、博物館や美術館における展覧会活動には終生関わった陶磁史研究の第一人者)
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、参考文献としても多く引用されてきた一冊。
美術館・博物館所蔵などの在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
陶芸家、古陶、桃山茶陶、酒器、茶道具、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な資料本です。
【凡例】
*本巻では、室町時代後期から江戸時代初期にかけて焼造された伊賀・信楽・丹波焼の作品210点をとりあげ、227図版を用いて責任編集者が図版構成を行なった。
*伊賀・信楽・丹波の各図版Iでは、桃山期を中心とする茶陶の典型的な作品をとりあげて鑑賞に供し、各図版Ⅱでは。時代を考慮し器形ごとに作風の展開のさまがわかるように図版を配列した。
*伊賀・信楽・丹波の図版II解脱の執筆には赤沼多佳が協力した。
*図版には図版番号のほかに名称(英文とも)、指定、所蔵者名、主な寸法、製作年代を付した。なお個人の所蔵者名は省略した。
【目次】
日本の陶磁
伊賀図版I
伊賀図版II
信楽図版I
信楽図版II
丹波図版I
丹波図版II
解説 林屋晴三
伊賀概説
伊賀図版I解説
伊賀図版II解説
信楽概説
信楽図版I解説
信楽図版II解説
丹波概説
丹波図版I解説
丹波図版II解説
図版目録 list of plates
参考文献
【各作品解説より一部紹介】
伊賀耳付花入 銘からたち 重要文化財 畠山記念館
桃山時代の和陶花入のうち、もっとも声価の高いのは伊賀焼である。一般に織部好みと認められている作為のつよい特異な器形と、法外ともいえる激しい焔の洗礼を受けて生まれた凄味のある焼膚とが異様に調和して、他の窯の作品では味わうことのできない破格の美しさをもたらす。しかも草庵の茶室にあって花を挿すと、いかなる花入より荘重な床の間を出現させる。
伊賀焼に見る破格の美を象徴するのが、この花入といえる。外に開いた口造りは口端を内に抱えて寄せ口とし、頸部を引き締めて左右に耳をつけ、六角面取りにした胴は裾に篦をまわして姿を整えている。焼成中に口部が割れて欠失し、その残片が頸や胴に散り、そのうちの一片、三角の破片が胴の上部に付着して鋭い棘のようであることから、棘のあるからたちに因んで「からたち」と名付けられたらしい。口部から胴にかけて薪の降灰をずっぽりと被って、上部は灰黄色と一部草緑色の釉膚をなし、下半部は暗緑色、紫黒色に焦げている。伊賀のこの種の灰釉を俗にビ一ドロと呼んでいるが、自然釉であるから裾から底にかけては釉はかからず、褐色に焦げた土膚は意外にやわらかく焼き締まっている。頸部の表と背面にある鈎付穴は填められている。かつて加賀の前田家に伝来したものである。
伊賀擂座花入 銘芙蓉 重要文化財
「この伊賀に 上野あるかは志らねとも 花は不用と 人八云ふなり」と、この花入を愛蔵した益田紅艶(鈍翁舎弟 英作)が狂歌を一首、箱の蓋裏に記して賛美している。たしかにその不自然な感さえ抱かせる華麗な景色は、まさに花不用(はないらず)というにふさわしい。
信楽耳付花入
侘び茶の茶具として造られた信楽花入のなかでも特に味わい深い作振りの名作である。信楽では武野紹鴎の頃から茶具が焼造されていたが、花入は比較的少ない。口縁を内にかかえこませ、その下に一段くびれをつけた筒形の掛花入で、胴は楕円形にゆがみ、左右に耳をつけた姿はまことに妙を得ている。素地はよく焼締まり、口部
から胴にかけて灰釉が厚くかかって渋い景色をなし、背面は褐色を呈している。天正年間の作であろう。
信楽一重口水指 銘柴庵
東京国立博物館
利休所持と伝えられる信楽水指の代表作で、古来「楊貴妃」「腰折」と名付けられた水指とともに、信楽三水指の一つとして名高い。(以下略)
信楽壺
俗に種壺とよばれている室町時代信楽小壺の傑作である。本来、茶陶として生まれたものではないが、その侘びた作風は茶の世界で好まれ、ずんぐりとした姿に因んで「蹲(うずくまる)」とよばれ、珍重された。製作年代は判然としないが、おそらく室町中期を降るものと思われる。成形は輪積みで全体やや厚手に作られているが、
段をつけた囗造り、撫でた肩、胴のすぼまり、さらに深い線彫りでめぐらされたいわゆる縄目文など、典型的な室町様式といえる作風である。囗から肩にかけて、一方に灰がかかって暗緑色の釉膚をなし、ほのかに赤く焼き締まった釉膚の一部は黒い焦げを見せるなど、稀に見る変化に富んだ景色である。同時代の備前や丹波、常滑などに見ない信楽独特の味わいは、高く評価されている。肩の二方に「 」印が篦彫りされ、底は平底である。
丹波三角花入
桃山の丹波焼茶陶中、第一の名作として声価の高いものである。備前焼にしばしば見る胴を三角にした花入で、口縁を玉縁にした口部は外に反り、肩がきっかりと衝き、裾の開いた大振りの高台が胴をうけている。三方の稜に縦篦をつけ、それぞれの面には横篦目を四段、五段と施している。激しく降りかかった灰が鮮やかな釉景色を見せ、背面の赤く焼き締まった土膚にいたるまで釉なだれが鮮やかにあらわれ、胴の二方に大きなくっつきがあり、平らな底にもくっつきが残っている。これも肩下三方の角に鈎付穴を填めた跡がある。丹波焼でこのような作振りの花入は、特異な作例といえる。
丹波耳付茶入 銘 生埜 湯木美術館
丹波焼の茶入中第一の名作として名高いものである。遠州好みといわれているが、その優しい姿は確かに遠州好みを想わせる優美な作振りである。口縁はまるく端反りにし、撫でた肩の左右に小さな耳をつけ、裾張りぎみの胴はごく僅かにふくらみをもたせ、腰はまるく、底にはぐきりと糸切の跡が残っている。明るい茶色の釉が
口から裾にかけて厚くかかり、前後に黒釉があらわれいる。唐物茶入の作行きを範とした和様の茶入といえよう。黒柿の挽家におさまり、蓋表には遠州字形の「生埜」の二字を彫り`内箱蓋表にも同じ字形を金銀であらわしている。荒磯椴子、鶴ヶ岡広東、団龍文金襴の袋が添い、袋の箱も遠州筆と伝える。後に松平不昧公に伝わったので中箱「生埜」の字は不昧の書付である。(以下略)
ほか
【概説】より一部紹介
伊賀概説
桃山初期以前の伊賀焼きは、信楽とはほとんど類別しがたいように思われる。しかし桃山時代以後に焼かれた純然とした茶陶伊賀は、その頃の信楽とはかなり作風が異なる。それらは三重県阿山郡阿山町大字横山小字門出の槇山窯、同町の丸柱窯、さらに伊賀上野城内にあった窯で焼かれたと推定され、その間の消息を藤堂元甫の『三国地誌』(宝暦十三年刊)は次のように述べている。(中略) これによると、伊賀焼は主として丸柱で焼造され、筒井定次の時代には横山窯でも焼かれ、さらにアシタ焼と称されるものもあって、これらをみな古伊賀と称すと記し、藤堂時代に主体をなしたのは丸
柱窯で、筒井時代は槇山窯であったようにも読めるが、筒井氏が行なったと推測される伊賀上野城内の古窯については記していないのは、おそらく城内の古窯跡は宝暦年問(1751-64)にはすでに地下に埋没していて記録もなく、藤堂元甫の時代には判然としていなかったのであろう。(中略)
その間に千利休や古田織部が作陶に関係をもち、ことに古田織部と密接なつながりがあったことは、大野主馬に宛てた織部の消息(藤堂家伝来の伊貿水指「破袋」〈図18〉に添えられていた織部の手紙で、かねて約束の伊賀水指をさし上げるが、ひびわれがあるのは堪忍なさいという内容)によって明らかである。さらに古田織部の茶会記によれば、(以下略)
信楽概説
信楽も歴史は古い。他の中世古窯と同じく、古墳時代から平安時代にかけては須恵器やその流れをくむ陶器が窖窯で焼成されていた。鎌倉から室町期にかけては壺や甕、擂鉢の類を焼成していたが、室町時代の信楽の壷は、他の焼締陶を焼いた窯の作品に比して特に魅力的である。それは、胎土に鉄分が少なく、膚がほのかに赤く焼き締まっているからで、今日愛陶家の間で中世の壷のなかではもっとも声価が高い。茶の世界で使われるようになったのも早く、村田珠光(1423-1502)が古市播磨に宛てた消息中に「志からき物」の言葉があり、天文二十三年(1554)の『茶具備討集』にも備前とともにその名が記されている。さらに弘治四年(1558)書写の「桂川地蔵記」にも粗茶用の葉茶壼として備前、瀬戸とともに信楽の壷が用いられたことが記されている。その後、武野紹鴎(1502-55)の目にとまった小振りの壺や苧桶が水指に取り上げられるとともに茶陶の注文生産も始まったと推測される。さらに天正年間に入ると千利休好みの水指を焼造し、慶長年間には時代を風靡していた一連の織部好み風の水指や茶碗を焼き、さらに小堀遠州好み、千宗旦好みの作品が焼かれた。信楽で焼かれるだけではなく、京窯でも仁清信楽、空中信楽などとよばれるものも焼かれるにいだたのであった。
信楽は甲賀郡雲井村の黄瀬、真木(牧)、勅旨、信楽町の長野、神山などで焼成されたらしいが、信楽町の長野から北にかけては、桃山時代までは鉄分の多い胎土が用いられて黒い膚のものが焼かれ、南では信楽独特の白い膚のものが焼造されたらしい。なかでも伊賀との国境の五位ノ木窯では、美しい灰釉のかかったものが焼かれていた。また伊賀領の槇山や丸柱窯でも室町時代後期には信楽と区別しがたい作品が焼かれていたと思われる。したがって桃山初期以前の作品は、信楽と伊賀との判別は困難であるとするのが一般的な見解である。しかし純然とした茶陶を焼造するようになってから、信楽と伊賀はその作風に大きな違いが出てくる。伊賀は徹底して焼きかためられ、作行きは分厚く灰釉のかかったものが多く、器形も織部好みを基調とした個性の強い作振りのものがほとんどであるが、信楽は紹鴎信楽、利休信楽を基調としているので、作風はいったいに穏和である。
慶長頃の信楽のなかでもっとも興味深いのは、古来新兵衛信楽とよばれている一連の作品で(後略)
丹波概説
丹波焼も中世以来の代表的な古窯の一つであるが、現存する作品を対象に桃山から江戸初期にかけての作風を概観すると、備前や信楽、伊賀のような純然とした焼締陶の窯とは違った性格をもった窯業地で、中世から桃山までは窖窯と半地上式窖窯による焼締陶、江戸初期以後は施釉陶に主体がおかれた窯業地であったし、窯も登窯になっている。中世から近世にいたる丹波焼で、わが国の代表的な窯としての面目を如実に示す作品が焼造されたのは室町時代で、他の古窯と同じく壺などに堂、とした風格の作品を残している。ところが慶長年間にいだて従来の窖窯と訣別し、おそらく美濃や京窯の影響を受け、施釉陶の量産に適した唐津風の登窯を導入して、今日一般に丹波焼と称されている特色ある施釉陶が生産されるようになったのであった。
丹波焼については、故杉本捷夫氏が永年の調査研究を『丹波の古窯』に詳述されているので、氏の説によってその沿革を概観することにした。(後略)
【図版目録】より一部紹介 銘、寸法、指定(重要無形文化財等)、所蔵先、英文記載
伊賀 IGA WARE
伊賀花入 銘 生爪
Flower vase, known as “Namazume"
Height 25.3cm
伊賀耳付花入 銘 からたち 重要文化財 畠山記念館
Flower vase with two handles, known as "Karatachi”
Height 28.4cm Hatakeyama Kinen・kan Museum
Registered as Important Cultural Property
伊賀擂座花入 銘 芙蓉 重要文化財
Flower vase with row of bosses, known as “Fuyou"
Height 28.6cm Registerd as Important Cultural Property
伊賀耳付花入 銘 寿老人 藤田美術館
Flower vase with two handles, known as “Jurojin"
Height 28.9cm Fujita Museum of Art
伊賀耳付花入
Flower vase with two handles
Height 28.0cm
伊賀耳付花入 重要文化財
Flower vase with two handles
Height 28.3cm Registerd as Important Cultural Property
(以下作品名以外省略)
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入萬野美術館
伊賀耳付花入 銘 岩かど
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入 銘 聖
伊賀花入 銘 長郎
伊賀手付花入
伊賀蹲花入 銘 仙家
伊賀蹲花入
伊賀耳付水指 銘 破袋重要文化財 五島美術館
伊賀擂座水指 銘 破袋重要文化財
伊賀耳付水指
伊賀花入 銘 生爪(図1背面)
伊賀耳付花入 銘 寿老人(図4背面)藤田美術館
伊賀擂座花入 銘 芙蓉(図3背面)重要文化財
伊賀耳付花入 銘 からたち(図2背面)重要文化財
伊賀耳付花入(図5背面)
伊賀花入 銘 長郎(図14背面)
伊賀手付花入(図15背面)
伊賀耳付花入(図9背面)萬野美術館
伊賀耳付花入(図11背面)
伊賀耳付花入(図6背面)重要文化財
伊賀耳付花入(図8背面)
伊賀筒花入 銘 羅生門
伊賀耳付花入 銘 本願寺
伊賀耳付瓢形花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入梅沢記念館
伊賀耳付花入 銘 寿老人根津美術館
伊賀耳付花入 銘 林和靖京都民芸館
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀三角花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付瓢形花入
伊賀杵形花入
伊賀三角花入 銘 松山畠山記念館
伊賀耳付花入
伊賀柑子口花入
伊賀耳付花入
伊賀耳付花入
伊賀筒花入
伊賀旅枕花入東京国立博物館
伊賀耳付水指 銘 大黒柱表千家
伊賀耳付瓢形水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀重餅形水指
伊賀擂座重餅形水指 畠山記念館
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀四方水指
伊賀耳付平水指
伊賀耳付重餅形平水指
伊賀耳付水指 萬野美術館
伊賀一重囗水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付末広形水指
伊賀壺
伊賀壺
伊賀壺 東京国立博物館
伊賀肩衝茶入 銘 山木表千家
伊賀肩衝茶入 銘 五月雨
伊賀伽藍石形香合 根津美術館
伊賀伽藍石形香合 東京国立博物館
伊賀伽藍石形香合
伊賀沓茶碗 銘 捨石 藤田美術館
伊賀沓鉢
美濃伊賀耳付花入
美濃伊賀耳付水指
美濃伊賀耳付水指
信楽 SHIGARAKIWARE
信楽耳付花入
信楽旅枕花入サントリー美術館
僧楽花入北陸大学
俗楽三角花入
信楽鬼桶水指
信楽一重口水指 銘 柴庵東京国立博
信楽一重囗水指 銘 磯シミヅ
信楽水指畠山記念館
信楽茶碗 銘 初時雨 MOA美術館
信楽茶碗 銘 挽臼
信楽茶碗 銘 水の子 根津美術館
信楽茶碗 銘 花橘
信楽辻堂香合
信楽壺
信楽壺水指藤田美術館
信楽壺
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指 梅沢記念館
信楽一重口水指
信楽水指 東京国立博物館
信楽水指 梅沢記念館
信楽矢筈口水指 表千家
信楽矢筈口水指 銘 三夕
信楽矢筈口水指
信楽矢筈口水指
信楽水指
信楽耳付水指
信楽矢筈囗水指
信楽裾張水指
信楽片口形水指
信楽重餅形水指
信楽耳付重餅形水指 林原美術館
信楽水指 銘 緋縅
信楽水指
信楽裾張水指
信楽耳付水指
信楽蹲花入
信楽蹲花入
信楽蹲掛花入
信楽掛花入
信楽面取掛花入 北村美術館
信楽胴締花入 根津美術館
信楽掛花入 京都民芸館
信楽三角花入
信楽三角花入
信楽旅枕花入
信楽尺八形掛花入 銘 腕 表千家
信楽旅枕花入
信楽平水指
信楽茶碗 根津美術館
信楽茶碗 銘 万力
信楽茶碗 根津美術館
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗 銘 ありとうし
信楽茶碗
信楽茶碗 銘 閑居
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶入 銘 二見
信楽肩衝茶入 銘 春駒
信楽肩衝茶入表千家
信楽肩衝茶入 銘 金剛
信楽肩衝茶入 藤田美術館
信楽茶入
信楽平鉢
信楽平鉢
信楽沓鉢
信楽耳付建水 畠山記念館
丹波 TAMBAWARE
丹波三角花入
丹波耳付花入 兵庫県陶芸館
丹波手桶形水指 兵庫県陶芸館
丹波耳付茶入 銘 生埜 湯木美術館
丹波肩衝茶入
丹波筒茶碗
丹波壺
丹波大徳利
丹波壺
丹波壺
丹波花入
丹波花入
丹波耳付花入
丹波口四方耳付花入
丹波擂鉢
丹波袋形水指 兵庫県陶芸館
丹波耳付鉢
丹波薬研 東京国立博物館
丹波耳付水指
丹波矢筈口耳付水指
丹波水指
丹波鬼桶水指
丹波手付水指
丹波耳付水指
丹波胴締水指 藤田美術館
丹波水指
丹波水指 銘 苔清水
丹波矢筈口耳付水指 京都民芸館
丹波筒水指
丹波東柴水指 兵庫県陶芸館
丹波山椒壺 東京国立博物館
丹波山椒壺 東京国立博物館
丹波四耳壺
丹波葉文大壺 兵庫県陶芸館
丹波茶碗 銘 大ぐり 京都民芸館
丹波茶碗 銘 雪間草
丹波筒茶碗
丹波筒茶碗 銘 山里
丹波茶入 銘 春雨
丹波肩衝茶入 銘 ゑび寿
丹波耳付茶入 銘 立花
丹波肩衝茶入 銘 松影
丹波瓢形火入 兵庫県陶芸館
丹波胴紐建水 京都民芸館
丹波徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波徳利
丹波瓢形徳利 兵庫県陶芸館
丹波黒釉菊文徳利
丹波平鉢
丹波束柴平水指 兵庫県陶芸館
丹波銚子 兵庫県陶芸館
丹波湯桶 兵庫県陶芸館