大型図録本 原色愛蔵版 伊賀焼・信楽焼・丹波焼 作品集 写真集 解説 日本の陶磁図鑑 カラー211点223図
IGA WARE,SHIGARAKI WARE,TAMBA WARE
責任編集 林屋晴三
監修 谷川徹三・川端康成
中央公論社
1975年再版
173ページ
約36x27x3cm
作品写真図版フルカラー
函入 布張上製本
※絶版
フルカラー大型図録本、伊賀焼・信楽焼・丹波焼古陶図鑑。
室町時代後期から江戸時代初期にいたる、桃山茶陶を中心とし伊賀焼・信楽焼・丹波焼の中でも、
厳選された国内最高峰の優品をあつめて211点223図版を収録。
解説の本文中に窯印・陶印についても記載。(写真ではなく図解中心、窯印はモノクロ写真数点掲載)
桃山時代の典型的な作品をとりあげて鑑賞、時代を考慮しつつ各器種別に図版を配列・網羅して収録したもの。
後に再編集されたソフトカバー版「新装普及版 伊賀・信楽・丹波 日本の陶磁」と掲載作品はほぼ重複していますが、
解説その他本文テキストは内容が一部異なります。
デフォルメされた器形、土膚を流れ落ちる緑色のビードロ釉や、焦げ膚の豪快で寂然とした趣の伊賀焼。
素朴で力強い土膚が魅力の信楽焼。瀟洒な味わいの丹波焼。中世以来の三窯の桃山時代の作品を総合的に編集。
フルカラー写真に加えて、巻末には全作品の寸法、制作技法ほか景色などの見どころ、伝来、来歴など詳細な解説を収載。
作品名については、全作品に英文表記あり。
【監修】
谷川徹三(昭和を代表する哲学者・国博物館次長・法政大総長等を歴任し、古今東西の思想・宗教・政治・文学・美術に及ぶ広範な評論活動を展開)
川端康成(小説家・文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍)
責任編集は
林屋晴三(日本陶磁史、とくに茶陶の研究を進めた東京国立博物館名誉館員。日々茶の湯を実践した数寄者、東京国立博物館次長、裏千家茶道資料館顧問、頴川美術館理事長、菊池寛実記念智美術館館長などを歴任、博物館や美術館における展覧会活動には終生関わった陶磁史研究の第一人者)
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、参考文献としても多く引用されてきた一冊。
美術館・博物館所蔵などの在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
陶芸家、古陶、桃山茶陶、酒器、茶道具、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な、布張り型押し上製本の愛蔵版資料本。
【凡例】
*本巻には室町、桃山、江戸初期を主に、伊賀、信楽、丹波の作品211点、223図を収録した。作品と図版の数え方は、茶碗の場合、側面および高台で1点2図とした。
*図版配列の順序は、名品を主にした扱いをやめ、伊賀、信楽、丹波の作風の展開のさまがわかるようにした。
*一部の原色図版については、右ページに図版、対面の左ページにその解説をつけた。その他の図版については、名称、目安としての寸法を付し、解説は133~163ページにおいて一括した。
*所蔵については、公共あるいは私設の博物館、美術館等に収蔵するものは記載し、個人所蔵のものについては、これを省略した。
【目次】写真図版フルカラー
図版
伊賀
信楽
丹波
解説 林屋晴三
伊賀
作品解説
信楽
作品解説
丹波
作品解説
伊賀・信楽焼古窯跡分布図
丹波焼古窯跡分布図
図版目録
参考文献
【作品解説】一部紹介
伊賀耳付花生 銘からたち
Iga flower vase with two handles, known as “Karatachi”
高さ28.4cm 口径8. 2cm 左右15. Ocm 底径13.Ocm
重要文化財 畠山記念館
桃山時代の和陶花生のうち、最も声価の高いのは伊賀焼である。一般に織部好みと認められている作為のつよい特異な器形と、法外ともいえる激しい焔の洗礼を受けて生まれた凄味のある焼膚とが異様に調和して、他の窯の作品では味わうことのできない破格の美しさをもたらす。しかも、草庵の茶室にあって花を挿すと、いかなる花生よりも荘重な床の間を出現させる。
伊賀焼に見る破格の美を象徴するのが、この花生といえる。外に開いた口を内に抱えて寄せ口とし、頸部を引き締めて左右に耳をつけ、六角面取りにした胴は裾に箆を回して姿を整えている。焼成中に口部が割れて欠失し、その残片が頸や胴に散っている。そのうちの一片、三角の破片が胴の上部に付着して鋭い棘のようであることから、棘のあるからたちに因んで「からたち」と名付けられたらしい。口部から胴にかけて灰がずっぽりと被っているが、上部は灰黄色と一部草緑色の釉膚をなし、下半部は暗緑色、紫黒色にこげている。伊賀のこの種の釉を、俗にビードロとよんでいる。自然釉であるから裾から底にかけては釉はかからず、褐色にこげた土膚は意外に柔らかく焼き締まっている。頸部の表と背面にある鈎付穴は填められている。
前田家伝来。
伊賀擂座花生 銘芙蓉
Iga flower vase with row of bosses, known as l“Fuyo”
高さ28.6cm 口径11.5cm 胴径13.8cm 底径12.6cm
「この伊賀に 上野あるかは志らねども 花は不用と人は云ふなり」と、この花生を愛蔵した益旧紅艶(鈍翁舎弟英作)が狂歌を一首、箱の蓋裏に記して賛美しているが、その不自然な感さえ抱かせる華麗な景色は、まさに花不用(はないらず)というべきであろう。
伊賀花生のなかでは最も厚手に成形されている。朝顔形に開いいた囗縁をまるく玉縁にし、口部は撫四方に作られている。肩はまるく張り、胴に少しくびれをつけて裾はすぼまり、分厚い円座状の底ががっしりと総体をうけている。肩には小さな擂座を五つ配し、胴にも縦箆目を十本くっきりとつけているが、その箆目から一部山割れが生じている。囗の内部と側而の一方、さらに肩から胴にかけて浅い若緑色に灰釉がかかり、釉の厚くかかった部分は貫入を呈する。口側一方と胴の一方は赤いこげ膚になり、裾は変化のある紫黒色にこげている。円座の側面から底には土膚があらわれているが。この花生の場合も比較的柔らかく焼き締まっている。肩に繕いがあり、円座の一部が欠け・囗縁にもくっつきの跡が二か所残って白い土膚を見せている。
箱の蓋表に、やはり益川紅艶の筆で「芙蓉」の文字が金粉字形で書されている。花不用を芙蓉とあらわしたもの。
伊賀耳付花生
Iga flower vase with two handles
高さ28.3cm 口径9.5x10.6cm 底径12.Ocm
重要文化財
伊賀焼のなかでも他に例を見ない特異な器形の花生である。裾張りぎみに立ち上がった胴の正面に二筋の深いくぼみをつけ、中火部を強く前に突出させた、見るからにつよい作為に満ちた作振りである。全体にやや扁平で、口部は桁円形になり、胴裾はまるく作られている。左右に細く長い耳をつけている。胴が前傾弓形にそっているのが、その器形の強さを一層高めている。激しく降りかかった灰がまことに鮮かな景色をつくり、ことに正面右の草緑色のビードロ釉は鮮かである。前から背面にかけて裾は黒くこげ、焼き締まった土膚は明るい褐色を呈している。口から裾にかけて、一筋黒い鉄色の釉が流れている。平らな底にもビードロ釉が流れ、釉溜りがくっつき跡になっている。背面に鈎付穴を填めた跡が残っている。
がて赤星家の売立で小倉常吉氏が蔵したことから、数寄者の間で小倉伊賀と称されている。また東京にあった5本の優れた伊賀花生を「東五人男」と称したが、その一つにも加えられている。
伊賀擂座水指 銘 破袋
Iga water jar with row of bosses. known as “Yabure-bukuro”
高さ19.9cm 口径19.3cm 胴径23. Ocm 底径20.8cm
重要文化財
胴に大きな山割れが生じていることから、古来「破袋」と名付けられ、伊賀水指中第一の名作として声価の高いものである。第19図の水指もそうだが、厚手に成形されているためふくらみに無理が生じているのか、両器とも同じように割れが入っている。よほど激しく焼き固められているのであろう。
広く開いた口部に段をつけ、外側口辺四方に貝のような大きな擂座をつけ、胴の上部に山路風の線彫り、裾張りにどっしりと拡がった下半部には八条の縦筋をつけている。底は平底。赤く焼き締まった土膚の一部を残して外側ほぼ全面に淡い緑色の灰釉がかかり、口部や胴の一部にやや濃い釉溜りがあり、一部はこげている。口部内側と内底にも釉がかかり、殊に内底にたまった釉は美しいビードロ釉になっている。胴に大きく生じた二筋の山割れは底にも回り、底は漆で繕われている。口部その他にも小さな割れが生じている。
信楽壺
Shigaraki jar
高さ20.3cm 口径7.5cm 胴径19. Ocm 底径13.5cm
俗に種壺とよばれている室町時代信楽小壺の傑作である。本来、茶陶として生まれたものではないが、その侘びた作風は茶の世界で好まれ、ずんぐりした姿に因んで「蹲(うずくまる)」とよばれ、珍重された。製作年代は判然としないが、おそらく室町中期を降るものと思われる。成形は輪積みで全体やや厚手に作られているが、段をつけた口作り、撫でた肩、胴のすぼまり、さらに深い線彫りでめぐらされたいわゆる縄目文など、典型的な室町様式といえる作風である。口から肩にかけて,一方に灰がかかって暗緑色の釉膚をなし、ほのかに赤く焼き締まった釉膚の一部は黒いこげを見せるなど、稀に見る変化に富んだ景色である。同時代の備前や丹波、常滑などに見ない信楽独特の味わいは、高く評価されている。肩の二方に「 」印が箆彫りされ、底は平底である。
信楽一重口水指 銘 柴庵
Shigaraki water jar, known as “Shiba・no・iori”
高さ15.Ocm 口径17.2cm 底径15.5cm
東京国立博物館
利休所持と伝えられる信楽水指の代表作で、古来「楊貴妃」「腰折」と名付けられた水指とともに、信楽三水指の一つとして名高い。寸胴形の水指で、口辺を引き締めて段をつけ、口は平らに成形されている。胴の一方に大きく縦、横に山割れが生じ、半面に厚く薄く灰が降りかかって暗緑色の釉虞をなし、一部釉がかりの濃いところは鉄褐色にこげている。背面は茶褐色に焼き締まり、土膚には長石粒が一面に散在している。見るからに草の小座敷にふさわしい作振りであり、利休晩年の好みの一端がうかがわれる。平らな底の三か所にくっつき跡の欠けがあり、中央に朱漆で「柴庵(花押)」と江岑宗左が直書きしている。広田松繁氏が東京国立博物館に寄贈された。
丹波三角花生
Tamba triangular flower vase
高さ25.8cm 口径6.6cm 底径11.5cm
桃山の丹波焼茶陶中、第一の名作として声価の高いものである。備前焼にしばしば見る胴を三角にした花生で1口縁を玉縁にした口部は端に反り、肩がきっかりと衝き、裾の開いた大振りの高台が胴をうけている。三方の稜に縦箟をつけ、それぞれの面には横篦目を四段、五段とつけている。激しく降りかかった灰が鮮かな釉景色を見せ、背面の赤く焼き締まった土膚にいたるまで釉なだれが鮮かにあらわれている。胴の二方に大きなくっつきがあり、平らな底にもくっつきが残っている。これも肩下三方の角に鈎付穴を填めた跡がある。丹波焼で、このような作振りの花生は特異な作例といえる。
ほか
【解説 林屋晴三】一部紹介
伊賀
桃山初期以前の伊賀焼は、信楽とはほとんど類別しがたいように思われる。しかし、桃山時代以後に焼かれた純然とした茶陶伊賀は、その頃の信楽とはかなり作風が異なる。それらは三重県阿山郡阿山町大字桐山小字門出の槇山窯、同町丸柱窯さらに伊賀上野城内にあった窯で焼かれたのであった。その間の消息を藤堂元甫の『三国地誌』(宝暦十三年)は「瓷器 丸柱村製 按ズルニ伊賀焼卜云是ナリ。(中略)云々」と記しているが、これによると、藤堂時代は丸柱で焼造され、槇山窯では筒井定次の時代に焼かれ、さらに足駄焼(下駄底のものであろうか)もあって、これらをみな古伊賀と称すと記し、藤堂時代の丸柱窯と、筒井時代の槇山窯とを分けて記しているように読める。(以下略)
花生
天正年間後期から江戸初期にかけて焼造された伊賀焼の花生は、桃山時代の茶陶のなかでも重要な作品の一つであり、おそらく茶陶として焼かれた花生のなかで最も傑出したものであろう。草の小座敷に用いたとき,他にない荘重な雰囲気がかもし出されることから、今日でも数寄者の間での声価は極めて高い。基本的な作為は共通しているが、一作一作それぞれに異なった作振りで,一つとして同形のものはなく、そうしたところに伊賀焼の性格の一端がうかがわれる。すなわち量産品ではなく、藩主の御用窯として、純然とした茶陶を焼造すべく運営されていたことを物語るものではないだろうか。しかも、窯中で徹底して焼きかためたその意欲は,到底他の窯ではなしえぬところであり,そこにも藩主の御用窯としての特色が出ているように思われる。伊賀焼の場合、土膚に厚く降りかかった自然釉は特にビードロ釉とよぱれているが、そのビードロ釉の鮮かなもの、ビードロ釉がさらにこげて寂びた味わいをたたえたものなど、伊賀焼の一作一作が「火と土の芸術」という言葉に最もふさわしい焼物であるといえよう。
伊賀焼の花生が茶会記に初めて登場するのは慶長七年正月九日で、古田織部の自会記に記されている。しかし『南坊録巻七 滅後之巻』に(以下略)
信楽
信楽も歴史は古い。他の窯と同じく、古墳時代から平安時代にかけては須恵器やその流れをくむ陶器が穴窯で焼成されていた。鎌倉から室町期にかけては、他の古窯と同じく壺や甕、擂鉢の類を焼くようになったと推測されるが、室町時代の信楽の壺は、他の焼締陶を焼いた窯の作品に比して特に魅力的である。それは、胎土に鉄分が少なく、膚がほのかに赤く焼き締まっているからで、今日愛陶家の間で中世の壺のなかでは最も声価が高い。茶の世界で使われるようになったのも早く、村田珠光が古市播磨に宛てた消息中に「志からき物」の言葉があり、天文二十三年の『茶具備討集』にも備前とともにその名が記されている。さらに弘治四年書写の『桂川地蔵記』にも粗茶用の葉茶壺として備前、瀬戸とともに信楽の壺が用いられたことが記されている。その後、武野紹鴎の目にとまった小振りの壺や苧桶が水指に取り上げられ、さらに天正年間に入ると千利休好みの水指を焼造し、慶長年間には時代を風靡していた一連の織部好風の水指や茶碗を焼き、さらに小堀遠州好み、千宗旦好みの作品が焼かれた。信楽で焼かれるだけではなく、その土が京窯にとりよせられて、仁清信楽、空中信楽などとよばれるものも焼かれるにいたったのであった。(以下略)
壺 水指
中世に焼締陶を焼いた窯のなかで、信楽ほど優れた壺を残している窯はない。どこの窯でも甕、擂鉢などがおもな産物であったが、備前や丹波、越前、常滑はいずれも素地のなかに鉄分が多く、黒く焼き締まっているのに対して、信楽は鉄分が少ない向い土で、それが焼成中に赤く焼き締まり、他に類例のない明るく穏和な景色の雅陶を生み出しているのである。そうした美しさは、今日でも大きな魅力をたたえている。(以下略)
丹波
丹波焼も中世以来の代表的な古窯の一つであるが、現存する作品を対象に桃山から江戸初期にかけての作風を概観すると、備前や信楽、伊賀のような純然とした焼締陶の窯とは違った性格をもった窯場で、中世から桃山までは穴窯と半地上式穴窯による焼締陶、江戸初期以後は旌釉陶に主体がおかれた窯場であったし、窯も登窯になっている。中世から近世にいたる丹波焼で、わが国の代表的な窯としての面目を如実に示す作品が焼造されたのは室町時代で,他の古窯と同じく壺などに堂々とした風格の作品を残している。ところが、慶長年間にいたって従来の穴窯と訣別し、おそらく美濃や京窯の影響を受け、施釉陶の量産に適した唐津風の登窯を導入して、今日一般に丹波焼と称されている特色ある施釉陶が生産されるようになった。
丹波焼については、故杉本捷雄氏が永年の調査研究を『丹波の古窯』に詳述されているので、氏の説によってその沿革を概観することにした。(以下略)
【図版目録】一部紹介
伊賀 IGA WARE
伊賀耳付花生 銘からたち 畠山記念館 重要文化財
Flower vase with two handles. known as “Karatachi"
Height 28.4 cm Hatakeyama Kinen-kan Museum
Registered as Important Cultural Property
伊賀擂座花生 銘芙蓉
Flower vase with row of bosses, known as “Fuyou”
Height 28.6 cm
伊賀耳付花生 銘寿老人 藤田美術館
Flower vase with two handles, known as "Juroujin”
Height 28.9 cm Fujita Museum of Art
伊賀耳付花生 重要文化財
Flower vase with two handles
Height 28.3 cm Registered as Important Cultural Property
(以下英文・寸法略)
伊賀 IGA WARE
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生 銘岩かど
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀花生 銘長郎
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀筒花生 銘生爪
伊賀手付花生
伊賀蹲
伊賀蹲
伊賀擂座水指 銘破袋 重要文化財
伊賀耳付水指 銘破袋 五島美術館 重要要文化財
伊賀耳付水指
伊賀筒花生 銘生爪(第14図背面)
伊賀耳付花生・銘寿老人(第3図背面)藤田美術館
伊賀擂座花生 銘芙蓉(第2図背面)
伊賀耳付花生 銘からたち(第1図背面)畠山記念館 重要文化財
伊賀耳付花生(第7図背面)
伊賀花生 銘長郎(第11図背面)
伊賀手付花生(第15図背面)
伊賀耳付花生(第6図背面)
伊賀耳付花生(第9図背面)
伊賀耳付花生(第4図背面)重要文化財
伊賀耳付花生(第5図背面)
伊賀筒花生 銘羅生門
伊賀耳付花生 銘本願寺
伊賀耳付瓢形花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生 梅沢記念館
伊賀耳付花生 銘寿老 根津美術館
伊賀耳付花生 銘林和靖
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀三角花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付瓢形花生
伊賀杵形花生
伊賀三角花生 銘松山 畠山記念館
伊賀耳付花生
伊賀柑子口花生
伊賀耳付花生
伊賀耳付花生
伊賀筒花入
伊賀旅枕花入
伊賀耳付水指 銘大黒柱 不審菴
伊賀耳付瓢形水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀重餅形水指
伊賀擂座重餅形水指 畠山記念館
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付水指
伊賀四方水指
伊賀耳付平水指
伊賀耳付重餅形平水指
伊賀耳付水指
伊賀一重ロ水指
伊賀耳付水指
伊賀耳付末広形水指
伊賀壺
伊賀壺
伊賀壺 東京国立博物館
伊賀屑衝茶入 銘山木 不審菴
伊賀肩衝茶入 銘五月雨
伊賀伽藍石形香合 根津美術館
伊賀伽藍石形香合 東京国立博物館
伊賀伽藍石形香合
伊賀沓茶碗 銘捨石
伊賀沓鉢
伊賀沓茶碗 銘捨石 藤田美術館
伊賀沓鉢
美濃伊賀耳付花生
美濃伊賀耳付水指
美濃伊賀耳付水指
信楽 SHIGARAKI WARE
信楽壺
信楽旅枕花入 サントリー美術館
信楽花生
信楽三角花生
信楽鬼桶水指
信楽一重口水指 銘柴庵
信楽一重口水指 銘礒シミヅ
信楽水指 畠山記念館
信楽茶碗 銘初時雨
信楽茶碗 銘挽臼
信楽茶碗 銘水の子 根津美術館
信楽茶碗 銘花橘
信楽辻堂香合
信楽壺
信楽壺水指 藤田美術館
信楽鬼桶水指 東京国立博物館
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指
信楽鬼桶水指 梅沢記念館
信楽一重口水指
信楽水指
信楽水指 梅沢記念館
信楽矢筈口水指
信楽矢筈口水指 不審菴
信楽矢筈囗水指 銘三夕
信楽矢筈囗水指
信楽矢筈口水指
信楽水指
信楽耳付水指
信楽矢筈囗水指
信楽裾張水指
信楽片口形水指
信楽重餅形水指
信楽耳付重餅形水指 岡山美術館
信楽水指 銘緋縅
信楽水指
信楽裾張水指
信楽耳付水指
信楽蹲花入
信楽蹲花入
信楽蹲掛花入
信楽掛花入
信楽面取掛花入
信楽楽胴締花生 根津美術館
信楽掛花生
信楽三角花入
信楽三角花入
信楽旅枕花入
信楽尺八形掛花生 銘碗 不審菴
信楽旅枕花入
信楽平水指
信楽茶碗 根津美術館
信楽茶碗 銘万力
信楽茶碗 根津美術館
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶碗
侮楽茶碗 銘ありとうし
信楽茶碗
信楽茶碗 銘閑居
信楽茶碗
信楽茶碗
信楽茶入 銘二見
信楽肩衝茶入 銘春駒
信楽肩衝茶入 不審菴
信楽肩衝茶入 銘金剛
信楽肩衝茶入 膝田美術館
信楽茶入
信楽平鉢
信楽平鉢
信楽沓鉢
信楽耳付懸水 畠山記念館
丹波 TAMBA WARE
丹波壺
丹波三角花生
丹波耳付花入兵庫県陶芸館
丹波耳付茶入 銘生埜
丹波肩衝茶入
丹波筒茶碗
丹波手桶形水指
丹波大徳利
丹波壺
丹波壺
丹波壺
丹波花生
丹波花入
丹波耳付花生
丹波口四方耳付花生
丹波擂鉢
丹波袋形水指
丹波耳付鉢
丹波薬研 東京国立博物館
丹波耳付水指
丹波矢筈口耳付水指
丹波水指
丹波鬼桶水指
丹波手付水指
丹波耳付水指
丹波胴締水指 藤田美術館
丹波水指
丹波水指 銘苔清水
丹波矢筈口耳付水指
丹波筒水指
丹波束柴水指 兵庫県陶芸館
丹波山椒壺 東京国立博物館
丹波山椒壺 東京国立博物館
丹波四耳壺
丹波葉文大盛
丹波茶碗 銘大ぐり
丹波茶碗 銘雪間草
丹波筒茶碗
丹波筒茶碗 銘山里
丹波茶入 銘春雨
丹波肩衝茶入 銘ゑぴ寿
丹波耳付茶入 銘立花
丹波茶入 銘倭弌
丹波瓢形火入 兵庫県陶芸館
丹波胴紐懸水 建水
丹波徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波大徳利
丹波大徳利 兵庫県陶芸館
丹波徳利
丹波瓢形徳利 兵庫県陶芸館
丹波照釉菊文徳利
丹波平鉢
丹波束柴平水指 兵庫県陶芸館
丹波銚子 兵庫県陶芸館
丹波湯桶 兵庫県陶芸館