基本情報|Release Information
レーベル:Victor
品番:VIP-7302
フォーマット:LP, Compilation, Reissue
国:Japan
リリース年:1981年7月21日
タグ:Soundtrack, Martial Arts, Japanese Compilation, Bruceploitation, Funk, Stage & Screen, Voice Archive
作品の解読|Decoding the Work
ブルース・リーの「声」と「構え」が、レコードという時空に封じ込められた。
Victorより1981年にリリースされた本作『My Way Of Kung Fu(邦題:ブルース・リーの魅力)』は、映画音楽、イメージ・スコア、本人肉声を含む構成で、リーという現象を日本独自の編集感覚で再構成したコンピレーションLPである。
収録曲はLalo SchifrinやJohn Barryらによる映画公式音源に加え、Joseph Kooの香港映画楽曲、さらにはブルース・リー自身のヴォーカルを収めたタイトル曲「My Way Of Kung Fu」を収録。映像の残響ではなく、音が語るリーの肖像がここにある。
特に注目すべきは、ラストに収められた本人の語りと歌声の断片。武道、映画、哲学の境界にいた彼の「身体性のアーカイブ」が、音の形式で再生可能になったという意味で、本作は単なるサントラ編集盤にとどまらない記録性を備えている。
パッケージは日本盤独自のビジュアル構成。ジャケットには映画的な緊張感が張り詰め、帯には「和製編集盤」としての独特の存在感がある。東洋の英雄像が、アナログという物質メディアにおいていかに再配置されるかを問う一枚としても位置づけられる。
制度をすり抜ける構造
— Joseph Kooの音楽にみる、テレビ時代の電子音楽のひとつの相貌
Joseph Koo(顧嘉煇、19312023)は、香港テレビおよび映画音楽界において比類なき存在であり、その活動は「情緒を司る作曲家」として語られることが多い。しかし本稿ではむしろ、彼の作品が構造的・抽象的な音響設計の水準において、電子音楽や現代音楽と秘かに接続していることを提示したい。そこには、商業音楽と芸術音楽、東アジア的旋律感と西洋的構造主義が奇妙な位相で交差している。
I. 制度とメディアに囲い込まれた音
1970年代後半、香港のテレビ局TVBは、植民地都市の中間層に向けた情動管理装置としての連続ドラマ制作に大きく舵を切っていた。Kooはその音楽部門の中心人物として、あらゆる番組に楽曲を供給する体制を築いていた。日本で言えば服部克久や大野雄二がTBS/日テレ系列で果たした役割を、KooはTVBで十倍の密度で遂行していたと言っていい。
だがこの制度的配置の中でKooが提供した音楽は、決してただの感情補完や物語的演出ではなかった。むしろそれは、メディアの要請に応じながらも、極度に計算された音響構造を内包する、モジュール型の音楽建築であった。旋律・間・リズムの全てが、視覚情報との同期性を保ちつつも、それ単体で響きの論理を形成しているという点において、Kooの楽曲は現代音楽的である。
II. 同時代の西洋電子音楽との不可視の交差
Kooの音楽の多くは、ローランドやYamahaの初期アナログシンセによって彩られており、音響的にはきわめて電子的である。だがそれは単なるサウンドの近代化ではなく、具体音と構成音、旋律と環境ノイズの間にある輪郭線を曖昧にしていく音楽的設計である。この設計志向は、同時代のLuc FerrariやIannis Xenakis、あるいはミニマル期のSteve Reichのような構造主義的電子音楽作家たちと遠く呼応している。
たとえば『死亡遊戯(Game of Death)』劇伴の「The Battle at the Factory」は、広義の戦闘音楽でありながら、音響空間の構築はむしろ建築的である。音が「情動を煽る」のではなく、「空間を測る」ように展開する。これはSchneider TMやBeatriz Ferreyraらに通じる電子空間の彫刻として読める。
また、旋律の挿入が意図的に抑制される構造は、ミシェル・シャイヨン(Michel Chion)やジャック・ヴィレム(Jacques Wildberger)などの映画音楽出身現代作曲家にみられる感情の脱演出化とも符合する。Kooは、決して無調や前衛には踏み込まないが、感情の輪郭を"外から"設計する作曲家だった。
III. 東アジア的旋律感と電子音響の緊張関係
Kooの旋律構造は、西洋的な長短調のコード進行に対し、広東語歌曲特有の滑音(portamento)や旋回的装飾音を挿し込むことで、音階の中に微細な揺らぎと身体性を残している。そこに電子音のレイヤーが重なるとき、身体的記憶と機械的知性のせめぎ合いが立ち上がる。
このハイブリッド性は、**純粋な現代音楽とも異なる「東アジア的電子音楽の地層」**としてKooの音楽を捉える手がかりになる。彼は民族音楽の提示者ではなく、ローカルな音律と制度的枠組みの中から「聴かれ方」そのものを反転させる作曲者であった。
IV. 記録メディアとアーカイブとしての再評価
1980年代、Kooの音楽は日本でもレコード化され(例:Victor『ブルース・リーの魅力』VIP-7302)、主題を越えて「素材としての音楽」へと位置を変えることになった。これらの音源は現在、ライブラリー音楽的視点、現代音楽的構造分析、そして東アジア視覚文化との連関において、複数の読み替えを受け入れる層を形成し始めている。
Joseph Kooは、劇伴作曲家としてではなく、制度を内側から変形させた匿名的構造家として再評価されるべき存在である。商業と非商業、情緒と抽象のあいだに「音の制度」を築いたこの作曲家は、電子音楽史の周縁にして、密かな異物として響き続けている。
状態詳細|Condition Overview
メディア:NM(盤面極めて良好。再生もクリア。ノイズ無し。)
ジャケット:EX(ごく軽微なリングウェア、縁スレ)
付属品:帯・日本語インサート付属(完品)
支払と配送|Payment & Shipping
発送:匿名配送(おてがる配送ゆうパック80サイズ)
支払:!かんたん決済(落札後5日以内)
注意事項:中古盤の特性上、微細なスレや経年変化にご理解ある方のみご入札ください。完璧な状態をお求めの方はご遠慮ください。重大な破損を除き、ノークレーム・ノーリターンにてお願いいたします。