★Freeway★1920年代終わり?ウェッジウッド&カンパニー「アンバサダー」。傘下の屋号「インペリアル」が対米輸出に。花籠デザインが酷似

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1920’s Imperial Porcelain “Ambassador”


ウェッジウッド&カンパニー
「アンバサダー(大使)」


Wedgwood Co Ltdの対米輸出品

V.スキレーンがデザインを提供?

同時期のWW「フラックスマン」に酷似

血縁は途絶えたが友好関係続く

正装で華やかな花束。「墓碑」から「大使」へ


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 少し前に同じトリオを出品したはずですが、その時の「解説」を紛失。またこのトリオ製作に深い関係がありそうなウェッジウッドの「フラックスマン」(1924年製作)を出品中ですので、前回の解説を訂正がてら、「フラックスマン」との関連について、出品者の推測を展開することにしました。この2点は同じUSAの未使用品専門店からの取り寄せです。

 この美しい花籠をカップ正面に手描きした、やや端正で余所行き顔トリオは、ウェッジウッドの遠縁が始めたWedgwood Co.Ltd社がウェッジウッドの「フラックスマン」と同時期に同じ対米輸出用に製作した特別製ウェアです。
 ウェッジウッド・カンパニーは「エノク・ウェッジウッド」(Enoch Wedgewood)という名でも知られています。非常に面倒で、Wedgwood Co Ltdは1860年から1965年までWedgwood & Co (Ltd)、1965年から1980年までEnoch Wedgwoodを会社名としています。ウェッジウッドの傘下に入って暫くはUnicorn Potteryの名称を使った。
 この会社の所謂トレード・ネーム(屋号)はメチャ多く、複雑。以下、
Queen’s Ivory/Wacol Wear/Wacol Imperial/Everware/Royal Tunstall/Vitrilain。
 以上は多分、ボーンチャイナ製品の屋号。以下はウェッジウッド同様のアイアン・ストーンと名付けられたアース・ウェアを使っていた屋号。
Imperial Porcelain/Paris White Ironstone/Stone Granitf/Royal Stone China/Semi Royal Porcelain と、余程のファンでも覚えきれない。
 おまけに、元祖Wedgwood Co(1860+)も、1900年からはWedgwood Co. Ltd.と表記が微妙に変わった。実に厄介な屋号の変遷です。

 この「アンバサダー」(大使)は、上記のアイアン・ストーン製のImperial Porcelainが作っています。前回出品時はWedgwood & Coが作ったと解説。これは丸切りの間違いではなかったが、本来はインペリアル・ポーセリン製。「アンバサダー」の王冠のバックスタンプにはWEDGWOOD & COの文字しかないのですが、このマークは「インペリアル」だけのもので、通常は王冠の上にIMPERIAL PORCELAINの文字がかぶさる。この文字がなかったのは、多分初めての対米輸出製品として「アンバサダー」を作ったが、ウェッジウッドと違って米国では知名度が低いCo社でしかも聞き慣れぬ「インペリアル」ではどうしようもないということで、インペリアルの文字は取ってしまおう。輸出歴の長いウェッジウッドと間違えてもらう方がいいんじゃないか。そういう思惑であったのではないか。

 前置きが長くなりましたが、ウェッジウッドの「フラックスマン」との関係について出品者の深~い洞察について述べてみます。

 両者のデザイン。その絵柄は「一致」しちゃっています。それぞれメインに持ってきた花束。墓碑の製作をも得意としたウェッジウッドの古い有名なレリーフ作家Flaxmanのイメージで花籠の花を暗く落としたオレンジで描いた。勿論、フル・ハンドペイント。アメリカのパテントナンバー取得の1924年の日付が明記されています。
 対して「アンバサダー」の花束。明るく華やかではあるけれど端正。フラックスマンで葬儀の膜の襟のようなイメージで描かれた黒いエッジ・ライン。「アンバサダー」には細いこのラインが使われ、「大使」の燕尾服或いは儀礼的なネクタイなんかのイメージを思わせる。

 暫く対米輸出をしていなかったウェッジウッドが話し合って、初の輸出となるウェッジウッド&カンパニーが共に輸出をやろうとなったのであろう。
 1924年のこの頃。ウェッジウッドの手描きアーリストとして滅茶な働きをしていたのが当時16歳の天才、ヴィクター・スキレーン。評判の天才に、カンパニーからデザインの相談があった。そこでスキレーンはこの花束の絵を提供した。
 大推測になりますが。「アンバサダー」、初お目見えの英国からの大使というイメージに相応しい花束を、まずスキレーンは考案し、提供した。その後で、この花束のイメージを変えてウェッジウッドの輸出用に使おうとした。色の調子を変えてと考えるうち、墓碑作家でもある先達のフラックスマンのイメージで行こうと。これ、突拍子もない想像でしょうか。

 この花籠の花束の絵は、スキレーン時代のウェッジウッドの象徴的存在になっています。ボーンチャイナでは最初のフロレンティンのカップ底とソーサー、プレート中心のワンポイントの手描きに使われました。花籠の絵が最初。次に花が広ファル見事な手描きに。それが丸い模様になり、やがて白っペに。
 「フラックスマン」の色が深く、花束の輪郭がやや硬い調子のタイプも、ウェッジウッドのアースウェアで長く使われました。このときの2種の花籠の絵を、スキレーンは大事に使い続けた。この絵が「スキレーンのマーク」となった。
 以前からこの「花籠の花」のルーツが気になっていました。「アンバサダー」と「フラックスマン」を相前後して手にして、色んなことがわかりました。思いついた花籠の花の絵を陰陽に使い分け。その後のウェッジウッドの「伝統の柄」にも見せた。
 皆さん、16歳ですよ。まさに天才ではありませんか。

 このカップのシェイプは特別性でしょう。サイズは次の通り。
 カップの高さ6.5cm、口径8.8cm。ソーサーの直径14cm。サラダプレートの直径は20cm。手描きの花は実に細やか。カンパニーの絵付け職人がウェッジウッドに負けてならじと目一杯、細かく描きこんでいます。片や「フラックスマン」の花は太くグイグイ。職人の描く花とデザイナー描く花の違いがよく見えている。
 端正な「アンバサダー」はしっかりゴールド・エッジ。

Wedgwood & Co
 イギリス、ストーク・オン・トレントのタンストールにあるユニコーン陶器工場とピノックス工場の陶器製造者
 Wedgwood & Co の製品は、Josiah Wedgwood & Sons Ltd の製品と混同されることがあります。ただし、名前に「& Co」または「& Co Ltd」が含まれているかどうかで、常に 2 つの会社を区別できます。これは、Josiah Wedgwood が「& Co」を使用したことがないためです。

 ジョサイア・ウェッジウッドの遠縁にあたるエノック・ウェッジウッドは、1835年にポッドモア・ウォーカー商会の共同経営者となり、1856年にはポッドモア・ウォーカー・ウェッジウッド商会と改称されました。
 1860年にトーマス・ポッドモアが亡くなると、エノック・ウェッジウッドはポッドモアから遺贈された事業の株式を相続し、共同経営者は解散してウェッジウッド商会となりました。エノック・ウェッジウッドは弟のジェイベズを共同経営者に迎えました。
1870年代までに、同社は600人から700人の従業員を抱えていました。

 エノックは1879年に亡くなり、息子のエドマンドとアルフレッド・イーノック・ウェッジウッドが後を継ぎ、1900年に一族の経営が終わるまで事業を運営しました。
 二人の息子の経営下では、会社はかつてのような勢いを失い、1890年にホリンズヘッドとカーカムがユニコーン工場を買収しました。

 1900年、会社は株式会社となり、ウェッジウッド家の実効支配権は失われました。新たな資金と経営陣は会社に新たな活力を与え、1950年まで、主に高品質製品の製造という会社の強みを活かし、以前の市場を取り戻すために多大な努力が払われました。
 ウェッジウッド社は、第二次世界大戦中も戦時集中計画に基づき営業を続け、装飾のない家庭用品の製造を許可されました。また、イギリス軍向けの水筒用食器も製造しました。
 1945年6月、ウェッジウッド社は国内市場向けの「ファンシー」製造の許可を得ました。
 1965年、同社は米国ニュージャージー州に拠点を置くセスマート・インポーティング社に売却され、エノック・ウェッジウッド(タンストール)社として再出発しました。セスマート社は食器の輸入業者であり、ウェッジウッド社を買収すると同時に、クラウン・スタッフォードシャー・チャイナ社も買収しました。

 1969年、エノック・ウェッジウッド(タンストール)社は、ファーニバルズの名称と、ファーニバルズの名称で販売されていたいくつかのパターンの権利を取得しました。
  
 生産設備の拡張のため、1974年にA.G.リチャードソン社の事業を買収しました。A.G.リチャードソン社は消滅しましたが、クラウン・デュカル社の名称と一部のパターンはエノック・ウェッジウッド社によって数年間使用されました。
 1980 年、ジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズ社 (この時点までウェッジウッド社とは何の関係もなかった) がエノック・ウェッジウッドを買収し、ウェッジウッド グループ内で「ユニコーン・ポッタリー」として運営されました。

ほかにもたくさん出品しています。ぜひご覧ください。


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