則天武后 (全5巻・全30話)武則天
姓は武、名は照、太宗(唐の二代皇帝)崩から、高宗(唐の三代皇帝)の後宮に上がり
武后は巧妙な方法で政権を独占し、高宗崩の後に自ら帝位に即いて、国号を周と改めた。
ここに中国史上唯一の女帝となる。
1.太宗皇帝 2.高宗皇帝 3.高宗栄農反 4.皇后の位を狙う武糖 5.長孫無品の未
6.武后王皇后を修殺 7.高宗崩御 8.武后玉座への野望 9.諸王最後のレジスタンス 10.則天皇帝の最期
※各巻288分
武照、14歳の時に太宗の後宮に入る。太宗に召しだされることはあまり無く、太宗崩御の後尼となる。宮中では高宗の皇后、王皇后と蕭淑妃が対立していた。王皇后は、高宗の寵愛を蕭妃から離す為に武照を高宗に薦めた、、、
武媚の宮廷内における立場はますます強<確固たるものとなっていった、、、。しかし、この時期長孫無忌をはじめとする先代の太宗皇帝以来の重臣たちは朝廷内で依然として強い力をもっており、、、
西暦655年、皇帝とともに玉座に就いた。宮廷における皇后の力はますます強大なものとなる。
西暦666年、唐の乾封元年、皇帝の病はいよいよ重くなり、武后は権力の行方が気がかりとなる。
高宗李治亡き後、皇位は哲が継いだ。突然の幸運に有頂天になり、また軽率な言動をめられ、皇太后武媚によってあえなく退位させられる。退位の後、皇太后は李旦を皇帝に選んだ。李敬業の乱など、もはや皇太后武媚に刃向かう者はいないと思われたが、依然として敵は存在した。皇太后暗殺の陰謀はあえなく消えたが、首謀者の素節をはじめ、多くの李家の諸たちが捕らえられた。こうして唐王朝の宗家、李家の力はますます弱くなった。皇帝によって、辛うじて保たれていた、家の面目も、風前の灯火。そしてついに、母武后に皇位を禅譲した。西暦690年、唐の天寿元年、武は帝位の座に、国号は周と改められる。都は洛陽に定められ、中国史上唯一の女帝、則天武后が誕生した。やがて武則天も老いてくると病床にあることが多くなり、指導力も衰えてきた。次第に唐復活の機運は高まり、西暦705年の旧暦1月に譲位を迫られ、中宗が復位し国号も唐に復すことになる。唐王朝は退位した武照に天大聖皇帝の尊号を奉った…..
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