
明治貨幣司一分銀 Hb 安政一分銀後期(細字)Cbです。
金座人佐藤忠三郎は、明治一分銀を大阪、東京で鋳造する際、亜鉛を8%程度混ぜたとしており、
実際現在明治貨幣司一分銀14種と呼ばれるものを調査すると、比重が10で、金座人の言う通りのデータになっています。
ですので大阪、東京で明治貨幣司一分銀14種が製造されていたのは明白です。
明治貨幣司一分銀 Hbのbは 安政一分銀後期(細字)Cbのbと同じ極印で製造されています。
前代の極印で次代の試作品を作るのは、銀座、金座の慣習で。。。
古南鐐二朱銀明和型→寛政型
慶長小判金最後期→元禄小判金最初期
享保小判金最後期→元文小判金献上大吉最初期
元文小判金献上大吉→文政小判金献上大吉
文政小判金献上大吉→天保小判金献上大吉、天保五両判金献上大吉
天保小判金献上大吉→安政小判金献上大吉
と前代の極印を使って次代の貨幣を作っています。
よって安政一分銀後期(細字)→明治貨幣司一分銀の流れは明白です。
安政一分銀後期(細字)おもてBの極印も、明治貨幣司一分銀おもてBに流用されています。
(2025年 12月 4日 18時 46分 追加)例外は古南鐐二朱銀寛政型→新南鐐二朱銀に変化するときです。
このときは前代に試作品を作っていたのですが、それはコインの大きさが違うからやむおえなかったのでしょう。
(2025年 12月 4日 18時 56分 追加)おもてBの安政細字、細字もどきも欲しいですね。
(2025年 12月 4日 19時 20分 追加)大蔵省の甲賀氏も、明治一分銀を溶かして銀80%という結果を得ている。これは金座人の製造レシピと同じであるので、当時はどれが明治貨幣司一分銀かわかっていたのでしょう。
その後、その判別方法は失われたが、丹野氏が貨幣司包を開いたことで、14種が確定。
ただ、表面分析が金座人、甲賀のデータと違ったので、劣位の明治一分銀があるはずだということで、亜鉛差系や右短川常系がそれではないか?と一時的にささやかれた。
ただ、色揚げを行っていることが判明し、比重から金座人や甲賀の言う明治一分銀が貨幣司一分銀であると再確認された。