●図録/金城次郎/皿.鉢.嘉瓶.花瓶.花生.蓋物.茶碗.壷.水指.急須.湯呑.抱瓶.酒器.小皿.まかい.香炉.蝋燭立.灰皿.水滴.厨子甕.他/149点/茶道 收藏
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■■『図録』・・・■■ ―”琉球陶芸の最高峰”― ●●『人間国宝・金城次郎のわざ』・・・●● **”THE MASTERPICES OF JIRO KINJYO,the potter of OKINAWA”** ◆1988・朝日新聞社。 ―”ごあいさつ”― ★線彫りの魚が泳ぎ、海老がおどる――沖縄の陶芸・壺 屋焼にロマンを吹き込んだのが、重要無形文化財保持 者・(人間国宝)・金城次郎氏です。 本展は、金城氏の喜寿を記念し、作陶生活60余年の 代表的な作品と関連資料で、金城芸術の世界を表すも のです。 沖縄県那覇市与儀に生まれた金城氏は、12歳で見習 陶工になりました。 しかし、雑役や走り使いなどの下働きばかりでー人前 にロクロを蹴らしてもらえたのは17歳のころだった といいます。 若き日の金城氏に民芸の影響を大きく与えたのは、大 正末から昭和10年代にかけて沖縄を訪れた、濱田庄 司・柳宗悦・河井寛次郎らでした。 昭和21年、那覇市壺屋に開窯してからは、努力と才 能が実を結びます。 技法は、飛鉋・三島手・刷毛目・指描き・染付・赤絵 ・三彩など中国・朝鮮・東南アジアの陶芸を思わせま す。 なかでも大胆な線彫の魚文・海老文は代表的な文様と なっています。 47年に沖縄県指定無形文化財・60年には国指定重 要無形文化財保持者・(人間国宝)・になりました。 本展の開催と図録の企画・構成・制作にあたって、並 々ならぬご支援とご協力をいただいた研究家・施設・ 愛蔵家の皆様に心からお礼申し上げます。 **”昭和63年4月”** ―”朝日新聞社”― ―”企画委員”― ■顧問。 ●東京国立近代美術館工芸課長・長谷部満彦。 ●日本民藝館長・柳宗理。 ■監修。 ●日本民藝館学芸員・佐々木潤一。 ●美術評論家・宮城篤正。 ●朝日新聞西部本社編集委員・源弘道。 ■写真・資料提供及び協力者。 ●池松隆一郎。 ●大塚清吾。 ●津波古聡。 ■発行日=1988年・(昭和63)・4月1日。 ■監修=宮城篤正・源弘道。 ■撮影=大塚清吾。 ■表紙撮影=朝日新聞社写真部。 ■発行=朝日新聞西部本社企画部。 ■製作=集巧社。 ■価格=記載なし。 ■サイズ=24×25cm。 ■状態。 ●表紙に、多少のキズ、ヤケが有ります。 ●本誌内に、多少ヤケが見えますが、 ●大きな、ダメージは有りません、 ◆◆注意・・・◆◆ ★表紙開き側に折れ跡 (上2cm×下8cm)辺りに 裏表紙開き側に折れ跡(16cm×18cm)辺りに ★発行日より経年を、経て下ります。 コンディションに係らず、古書で有る事を、 充分に、御理解の上、入札下さい。 ★神経質な方は入札をご辞退下さい・・!! ●全・166ページ・光沢上質紙・・・!! ●図版・149点・(組)・全カラー・・・!! ◆同図版に、複数の掲載が有りますので、上記 数字より少し多めです。 ◆各項目毎に、解説。 ◆図版とは別に、金城次郎や風景の写真が 掲載されて下ります・(カラーと一部白黒)。 ●図版頁に・・・!! ◆番号/名称・(英文)/製作年/寸法/所蔵。 ◆裏銘・5点。 ◆箱書・2点。 ◆背面・部分拡大・4点。 ◆「茶碗」・実寸大・6点。 ●作品リスト・頁に・・・!! ◆番号/名称/高さ・口径・胴径・底径・(高台径 )/数/製作年/所蔵者/備考。 ●蒐集・資料などの参考に・・・!! ●探されていた方は・この機会に・・・!! ●以下・詳細をご覧ください・・・!! ●掲載案内は・抜粋して下ります・・・!! ●掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい・!! ●数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。 ●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と、致します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■■『ごあいさつ』・・・■■ **”朝日新聞社”** ■■『凡例』・・・■■ ●本図録の図版番号は陳列番号と一致する。 ただし陳列の順序は図版番号順とは限らない。 ●所蔵者は原則として博物館・美術館のみ記した。 ●法量の単位はすべてセンチメートルで示した。 ●製作年は西暦表記とした。 ●表紙写真は沖縄の海中写真。 ■■『図版』・・・■■ ●●『金城次郎の周辺』・・・●● ★幼少のころ、家が貧しかった関係で、新垣永徳の製陶 所で見習陶工として働いた。 その当時、新垣は壺屋陶芸界のリーダー格であり、そ こで彼の影響を受けた。 大正13年、浜田庄司が新婚旅行で来沖し、滞在、当 時わずか12歳の金城次郎は壺屋で製作中の浜田から 多くのことを学ぶ。 なかでも壺屋陶器のすばらしさを大和人・(ヤマトン チ ュ)・の浜田に教えられ発奮、技術習得に励んだ。 昭和14年、柳宗悦を団長とする沖縄民芸調査団が大 挙来島、それらの人々の知遇を得て、大きな感化を受 けた。 また、既にその当時、金城次郎の非凡な才能と技術は 、柳宗悦・浜田庄司・河井寛次郎らの認めるところで あった。 戦後は豊平良顕らのよき沖縄文化のリーダー達のもと で、精力的に制作活動を展開した。 彼の体中に流れる壺屋陶工の熱い血と強烈な個性、健 康で明るい人柄、たゆまざる努力によって、今日の地 位は築き上げられた。 ◆1・鉄絵灰釉碗。 ・16・17世紀。 ・沖縄県立博物館。 ◆2・壺屋徳利。 ・18世紀。 ・沖縄県立博物館。 ◆3・赤絵魚文皿。 ・沖縄県立博物館。 ◆4・吾須絵皿。 ・19世紀。 ・沖縄県立博物館。 ◆5・飴釉白打双耳仏花器。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆6・鉄釉緑唐草文鉢。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆7・藍差線彫竹文花生。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆8・木綿紅型着物。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆9・筒描芋麻紅型風呂敷。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆10・筒描芋麻竹梅文紅型風呂敷。 ・19世紀。 ・日本民藝館。 ◆11・白掛赤絵黍文鉢。 ・浜田庄司作。 ・1965年頃。 ・日本民藝館。 ◆12・飴釉白打藍差窓絵梅花文急須。 ・浜田庄司作。 ・日本民藝館。 ◆13・白掛彫絵葉文角瓶。 ・河井寛次郎作。 ・1940年頃。 ・日本民藝館。 ◆14・白掛二彩打文角瓶。 ・河井寛次郎作。 ・1940年頃。 ・日本民藝館。 ●●『第二次世界大戦以前』・・・●● ★明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争によっ て壺屋窯の泡盛壺・(荒焼)・の生産が増大し好景気 を迎えた。 しかし戦争景気が去った大正・昭和初期にかけての壺 屋陶業界はもちろん沖縄の社会全体が不況に見舞われ た。 そのような時期に金城次郎は6人の兄弟の長男として 壺屋のすぐ隣の与儀に生まれた。 家が貧しく、小学校卒業以前に陶工見習工となり、家 計を助けた。 そのころ、浜田庄司との出会いがあり、柳宗悦・河井 寛次郎・他に多くの民芸同人との知遇を得て、生涯の 仕事として陶業に進むことを決意した。 昭和11年、24歳で結婚・二男一女をもうける。 家族を養うため新垣製陶所で作陶に打ち込み、頭角を 現すようになった。 ところが、沖縄戦が始まると防衛兵に招集され、読谷 飛行場建設作業や壺屋で軍需品作りに従事した。 ◆15・魚文徳利。 ・同・背面。 ・1929年頃。 ◆16・斜格子文抱瓶。 ・1935年。 ・沖縄県立博物館。 ◆17・線彫魚文鉢。 ・日本民藝館。 ★1969年・(昭和44年)・と・1987年・ (昭和62 年)・の壺屋風景。 ★1972年当時の仕事場。 ●●『終戦から壺屋時代』・・・●● ★昭和20年6月、沖縄戦が集結する。 すべてを失い、零からの出発であったが、いち早く金城 次郎も壺屋窯の復興と食器作りに励んだ。 翌年、34歳で長年の夢であった個人の工房を構えて独 立した。 昭和29年、第6回沖展に工芸部門が新設されたのに伴 い、その運営にかかわる一方で、陶芸二人展を開催、ま た昭和30年、国展に初入選を果たした。 他にも日本民藝館展等へ出品するなど、県内外における 団体展や個展等積極的に作品発表を行った。 そのことによって国展新人賞・国画会賞・第一回沖縄タ イムス芸術選大賞・国展会友優秀賞・日本民藝賞等の受 賞が相次いだ。 壺屋時代は彼の円熟期でもあり、実に多くの傑作を世に 送り出している。 こんどの展覧会にも、この時期の作品がもっとも多く展 示されている。 ―”皿・鉢”― ★沖縄の方言では皿のことをケーウチ・鉢をワンブーと 呼称するが、どちらも日常生活でよく使われる食器で ある。 皿は大別して、大・中・小に区別し、更に直径を寸法 で表す等、細かく分類することが多い。 金城次郎は昔から陶工を自認し、日用食器を盛んに作 ってきたが、皿・鉢類もたくさん手掛けている。 ◆18・線彫海老文大皿。 ・1960年代。 ◆19・線彫海老文大皿。 ・1969年頃。 ◆20・呉須飴差線彫海老文皿。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆21・呉須飴差線彫海老貝文皿。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆22・呉須飴差線彫魚海老文皿。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆23・イッチン海老貝文大皿。 ・1955年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆24・線彫魚文大皿。 ・沖縄県立博物館。 ◆25・線彫魚文大皿。 ・沖縄県立博物館。 ◆26・線彫魚文大皿。 ・1969年。 ◆138・同・箱書。 ◆27・線彫魚文大皿。 ・1971年。 ◆28・線彫魚貝文大皿。 ・1970年。 ◆29・唐草文大皿。 ◆30・象嵌唐草文大皿。 ・1967年。 ・日本民藝館。 ◆31・唐草文大皿。 ・日本民藝館。 ◆32・鉄絵唐草文大皿。 ・1971年。 ◆33・飴釉線彫蝸牛文菓子鉢。 ・1949~50年。 ◆34・幾何文鉢。 ・1960年代。 ◆35・線彫海老文皿。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆36・二彩点打深鉢。 ・1970年。 ◆37・三彩深鉢。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆38・窯変唐草文六角鉢。 ・沖縄県立博物館。 ◆39・唐草文深鉢。 ・1968年。 ◆40・二彩幾何文皿。 ・日本民藝館。 ―”嘉瓶・(ゆしびん)”― ★嘉瓶は元来、沖縄の名酒・「泡盛」・を入れるための 容器であった。 昔は祝儀の際、贈答用に用いたもので、中身の泡盛を 使い終わると嘉瓶は再び所有者に返される。 したがって、形の部分に家紋を入れた嘉瓶を多く見掛 ける。 形態はひょうたんからの発想と考えられ、沖縄独特の 造形美になっている。 現在、この形態は広く人々に親しまれており、花生け 等に転用される事例が多い。 ◆41・三彩描嘉瓶。 ・1960年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆42・三彩大嘉瓶。 ◆43・線彫段文嘉瓶。 ◆44・黒釉指描嘉瓶。 ・1961年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆45・二彩嘉瓶。 ・1968年。 ―”壺”― ★元来、容器としての機能で作られてきたが、近年それ だけにとどまらず、生活空間の中に置いて楽しむ社会 的風潮が醸成されている。 また、花瓶・花生けとしても利用出来る。 単純明快な壺の形態として自由奔放な絵付け等、金城 次郎の多様な技法は私たちの心をとらえ、精神的豊か さと安らぎを与えてくれる。 ◆46・緑釉唐草文三耳壺。 ・同・裏銘。 ・1950年頃。 ◆47・指描耳付大壺。 ・沖縄県立博物館。 ◆48・二彩四耳壺。 ・1968年。 ◆49・緑釉指描唐草文壺。 ◆50・飴釉線彫魚文壺。 ◆51・飴釉縄編線文四耳壺。 ・1970年。 ◆52・窓絵唐草文壺。 ◆53・黒釉イッチン魚文壺。 ・1965年。 ◆54・白刷毛目黍文壺。 ・1950年代。 ◆55・描落唐草文壺。 ◆56・イッチン唐草文壺。 ―”花瓶・花生け・蓋物”― ★略・・・・・。 ◆57・緑釉線彫魚文花瓶。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆58・鉄釉指描唐草文花瓶。 ・同・裏銘。 ・1970年代。 ◆59・線彫窓絵魚文花瓶。 ・同・裏銘。 ・1969年。 ◆60・緑釉蝋抜花瓶。 ・沖縄県立博物館。 ◆61・線彫魚文花瓶。 ・1968年。 ◆62・イッチン花文花瓶。 ・1948年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆63・線彫魚文花瓶。 ・1949年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆64・線彫海老文竹筒型花生。 ・同・背面。 ・沖縄県立博物館。 ◆65・線彫海老文竹筒型花生。 ・同・背面。 ・沖縄県立博物館。 ◆66・線彫魚文蓋物。 ・1970年。 ◆139・同・箱書。 ◆67・三彩盒子。 ・1969年。 ・日本民藝館。 ◆68・呉須飴差飛鉋蓋物。 ・1969年。 ・日本民藝館。 ◆69・唐草文盒子。 ・日本民藝館。 ―”茶碗”― ★昔から上流階級の生活に茶の湯が採り入れられてきた が、一般庶民の間に普及したのは、ごく近年のことで ある。 したがって、昔は多く作られていなかった。 古い、まかい・(碗)・の中には、確かに茶碗として 十分に使えるものが少なくない。 金城次郎の茶碗も、まかい型が多くみられ、技法は技 法にわたる。 ◆70・線描茶碗・(実寸大)。 ・1965年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆71・象嵌茶碗・(実寸大)。 ・1965年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆72・白掛指描茶碗・(実寸大)。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆73・白掛刷毛打茶碗・(実寸大)。 ・沖縄県立博物館。 ◆74・イッチン波文茶碗・(実寸大)。 ・1950年代。 ◆75・三島茶碗・(実寸大)。 ・沖縄県立博物館。 ―”水指”― ★金城次郎はかつて壺屋時代に朝鮮李朝陶器に傾倒した ことがあったという。 そのころから、しばしば刷毛目の技法を作品に試みる ようになった。 彼の刷毛目はそれだけでも大胆であるが、更に得意と する線彫海老文等を組み合わせることによって一層面 白い効果を醸成している。 他に重厚な黒釉の上にダイナミックな指描唐草文を施 した水指があるが、いかにも素朴で力強い作品となっ ている。 ◆76・刷毛目線彫海老文水指。 ・1970年。 ―”急須・湯呑”― ★沖縄はお隣の中国とは長い交流の歴史があり、生活習 慣面にも多くの影響がみられる。 昔から中国茶を好んで飲む傾向もそのあらわれであろ う。 沖縄では急須をチューカー・(茶家)・と称す。 日ごろから茶を茶のしみ、来客をもてなすために必要 かつ不可欠なものである。 金城次郎の、急須・湯呑の形と絵付けには素朴で暖か さがあふれている。 ◆77・線彫文急須。 ・1970年。 ◆78・赤絵急須。 ・1951年。 ◆79・指掻手付急須。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ◆80・三彩急須。 ・1970年。 ・日本民藝館。 ◆81・白打緑差急須。 ・日本民藝館。 ◆82・二彩急須。 ・1956年。 ・日本民藝館。 ◆83・線彫海老文手付急須・湯呑・(5点)。 ・沖縄県立博物館。 ◆84・線彫魚文手付急須・湯呑・(5点)。 ・沖縄県立博物館。 ◆85・イッチン草文湯呑・(3点)。 ・沖縄県立博物館。 ◆86・湯呑・(3点)。 ・1955年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆87・赤絵点文湯呑。 ・1971年頃。 ―”抱瓶・(だちびん)”― ★抱瓶は、昔、地方の豪農たちが特別注文して作らせた 携帯用酒器である。 肩からつるし、腰にあてるため美しいカーブを有する。 三日月形もしくは面取りになっていて、沖縄の造形美 を代表する。 現在でも非常に人気が高く、小型の醤油差し、一輪差 し、さらには観光土産品としてたくさん作られている。 抱瓶を大型化して製作したのは金城次郎がはじめてと いわれる。 ◆88・線彫海老文抱瓶。 ・1948年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆89・鉄釉鎬抱瓶。 ・1950年代。 ◆90・線彫魚文抱瓶。 ・同左下部分(拡大)。 ・1951~53年。 ◆91・線彫魚文抱瓶。 ・1960年代。 ―”酒器-からから・徳利・ジョッキ”― ★沖縄の陶器には酒器が多いが、その中でも、からから ・徳利は代表格である。 庶民の生活のなかでまつりやお祝いの座で、からから ・徳利で泡盛が配られるといっそう、にぎやかさを増 す。 お酒がまわると、カチャーシー・(即興の歌舞)・が 飛び出し、祝宴は最高潮に達する。 ジョッキは戦後、米国人向けに作られ、次第に地元で も愛用者がふえた。 ◆92・緑釉唐草文からから。 ・1953年。 ◆93・線彫海老文からから。 ・同・裏銘。 ◆94・イッチンからから。 ・1969年。 ◆95・二彩点打からから・(2点)。 ・沖縄県立博物館。 ◆96・緑釉線彫魚文徳利。 ・沖縄県立博物館。 ◆97・飛鉋徳利。 ・1969年。 ・日本民藝館。 ◆98・徳利・(3点)・ぐい呑・(3点)。 ・1965年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆99・波状文ジョッキ。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ◆100・櫛目文ジョッキ。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ◆101・二彩流ジョッキ。 ・1965年頃。 ◆102・掛分鎬ジョッキ。 ・同・裏銘。 ・1950年代。 ―”碗・(まかい)・箸立て・小皿・”― ★沖縄の食文化の特徴は、どちらかというと過去の長い 交流の歴史によって、中国や東南アジアの影響を強く 受けている。 まかいの形態を絵付けにもそのことが伺えるが、この 生活必需品であるまかいや皿類は昔からたくさん作ら れてきた。 箸立のほとんどは台所の柱に打ちつけた釘等引っ掛け て使用されることが多かった。 ◆103・唐草文碗・(まかい)。 ・日本民藝館。 ◆104・呉須唐草文碗・(まかい)。 ・日本民藝館。 ◆105・線彫海老文碗・(まかい)・5点。 ・沖縄県立博物館。 ◆106・線彫魚文碗・(まかい)・5点。 ・1970年。 ・沖縄県立博物館。 ◆107・線彫魚松竹梅文箸立。 ・1949~50年。 ◆108・線彫魚文皿・(3点)。 ・1970年。 ・日本民藝館沖縄分館。 ◆109・線彫海老文小皿・(5点)。 ・沖縄県立博物館。 ◆110・線彫魚文小皿・(5点)。 ・沖縄県立博物館。 ―”傘立て”― ★略・・・・・。 ◆111・呉須飴釉唐草文傘立。 ・1968年。 ◆112・半胴型呉須芭蕉文傘立。 ・1950年代。 ―”香炉・蝋燭立て・灰皿・水滴”― ★略・・・・・。 ◆113・緑釉香炉。 ・1951~53年。 ◆114・緑釉・蝋燭立。 ・1946~47年。 ◆115・線彫海老文蓋付灰皿。 ・1968年。 ◆116・赤絵草文水滴。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ◆117・線彫水滴。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ◆118・線彫水滴・(5点)。 ・1954年。 ・沖縄県立博物館。 ―”厨子甕・角箱”― ★厨子甕とは死者の遺骨を洗骨して納める容器である。 陶製厨子甕は壺型と家型とに分けられるこの容器は墓 と同様に死者の住家とする観念から蓮花、菩薩像など の線彫りまたは貼付文等で加飾される部分が多い。 金城次郎の作品は小型化したり、獅子頭をもせたりし て形態面でかなり思い切った独創性や単純化等の工夫 が多く見られ、ユニークである。 ◆119・二彩唐草文角箱。 ・1960年代。 ◆120・三彩角箱。 ・1970年代。 ・日本民藝館。 ◆121・御殿型厨子甕。 ◆122・呉須飴差貼付文厨子甕。 ・1969年代。 ・日本民藝館。 ◆123・貼差貼付文厨子甕。 ・日本民藝館。 ◆124・貼付文厨子甕。 ・日本民藝館。 ◆125・緑釉獅子頭角箱。 ・1971年。 ●●『読谷時代』・・・●● ★昭和47年5月15日、沖縄県民の悲願であった祖国 復帰が実現した。 金城次郎が戦前から陶器作りに親しんで来たやちむん の里、壺屋がすっかり都心になり、公害問題で登り窯 が炊けなくなったことに見切りをつけ、同年10月、 読谷村座喜味へ移転した。 また、同年11月、彼は沖縄県教育委員会から県指定 無形文化財沖縄陶器の技術保持者に認定された。 陶器では最初の県指定であった。 更に昭和60年、国の重要無形文化財琉球陶器の技術 保持者・(いわゆる人間国宝)・に沖縄で初めて認定 された。 この読谷時代は日本陶芸界に確固たる地位を築き、最 高の名誉を獲得した時期であった。 現在、読谷村座喜味の恵まれた自然環境のなかで、の びのびと作陶に打ち込む毎日である。 ★移転直後の読谷の登り窯。 ◆126・線彫魚海老文花瓶。 ・1973年。 ◆127・象嵌魚文壺。 ・1973年。 ◆128・線彫魚文花瓶。 ・1973年。 ◆129・線彫魚文竹筒型花生。 ◆130・線彫魚唐草文角瓶。 ◆131・二彩蓋物。 ・1973年。 ◆132・白釉掛流茶碗。 ・1975年。 ◆133・刷毛目水指。 ・1975年。 ◆134・黒釉水指。 ・1975年。 ◆135・赤絵魚文湯呑。 ・1973年。 ◆136・飴釉獅子頭角箱・(2点)。 ・1972年。 ★金城次郎・読谷工房でロクロに向かう・1987 年6月。 ●●『関連資料』・・・●● ★ロクロと手・1971年。 ★金城次郎の作品についてみると、器形・絵付け等、す べての面に大らかで力強さがみなぎり、壺屋陶器の原 点と特徴をよく具備している。 彼は長い伝統を誇る壺屋陶器のよさを学び、身につけ ているので、昭和10年代に浜田庄司・河井寛次郎ら が壺屋で製作した作品と比較すると、かなり共通点を 見いだすことが出来る。 他に関連資料としては、棟方志功・安部栄四郎 民芸関係の作家たちとの交流を示す作品がある。 更に陶木・拓本・桐箱の蓋裏・画用紙・色紙・箱書等 に描かれた魚文・海老文をみると、またひと味違う趣 と特徴を持っている。 おのおのが金城次郎の周辺の人間関係を伺い知るのに 必要かつ貴重な資料である。 ◆137・壁掛獅子面・(2点)。 ◆140・絵。 ・1969年。 ◆141・スケッチ・(魚・海老)。 ・1976年。 ◆143・色紙・(魚)。 ・1985年。 ◆144・色紙・(海老)。 ・1985年。 ◆142・スケッチ・(魚・海老)。 ・1976年。 ◆145・拓本・(魚)。 ・1986年。 ◆146・拓本・(海老)。 ・1986年。 ◆147・陶板。 ・1987年。 ◆148・絵。 ・棟方志功。 ・1957年。 ◆149・陶板・「飛翔」。 ・同・裏面。 ・安部栄四郎。 ●●『金城次郎窯』・・・●● ★金城次郎・読谷の工房・1987年6月。 ★窯出しを見る・1987年6月。 ★火入れの儀式・1987年11月。 ★窯焚きをする長男の敏男氏・1987年6月。 ★他・・・・・。 ■■『琉球の富』・・・■■ **”柳宗悦”** ●序。 ●陶器。 ●跋。 ■■『金城次郎 人と作品』・・・■■ **”宮城篤正”** ■■『沖縄を語る』・・・■■ **”金城次郎”** ●13歳で弟子入り。 ●民芸運動に触発。 ●戦後自前の窯を開く。 ●線彫りにも苦労。 ●浜田庄司に師事。 ●登り窯にこだわる。 ●陶芸家とは違う。 ●批判するのは簡単。 ●土着に徹する。 ★(聞き手・藤山清郷記者・1985年5月3日・1 0日・17日付・朝日新聞・西部本社朝刊・「沖 縄ページ」・から)。 ■■『年譜』・・・■■ ■■『関連地図』・・・■■ ■■『出品リスト』・・・■■ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ■入力のミスはご容赦下さい。 ■他の出品も、是非、御覧下さい。 ■商品詳細文の転用は堅くお断り致します。 ■■入札案内・・・■■ ●状態はすべて点検済ですが、 ●見落し等が無いとは言えません。 ●見解の相違も御座います。 ●御了承、御理解の上、入札下さい。 |
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