●図録/金城次郎/皿.鉢.嘉瓶.花瓶.花生.蓋物.茶碗.壷.水指.急須.湯呑.抱瓶.酒器.小皿.まかい.香炉.蝋燭立.灰皿.水滴.厨子甕.他/149点/茶道

●図録/金城次郎/皿.鉢.嘉瓶.花瓶.花生.蓋物.茶碗.壷.水指.急須.湯呑.抱瓶.酒器.小皿.まかい.香炉.蝋燭立.灰皿.水滴.厨子甕.他/149点/茶道 收藏

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■■図録■■ ■■『金城次郎』■■ ■■琉球陶芸の最高峰・「人間国宝・金城次郎のわざ」■■ ■■「金城次郎の周辺」―浜田庄司/河井寛次郎■■ ■■「第二次世界大戦以前」■■ ■■「終戦から壺屋時代」―皿・鉢/嘉瓶・(ゆしびん)/壺/花瓶・花生・蓋物/茶碗/水指/急須・湯呑/抱瓶・(だちびん)/酒器―からから・徳利・ジョッキ/碗・(まかい)・箸立て・小皿/傘立て/香炉・蝋燭立て・灰皿・水滴/厨子甕・角箱■■ ■■「読谷時代」■■ ■■「関連資料」―絵/スケッチ/色紙/拓本/陶板■■ ■■「金城次郎窯」■■ ■■「琉球の富」■■ ■■「金城次郎・人と作品」■■ ■■「沖縄を語る」―金城次郎■■ ■■「茶碗」―実寸大■■ ■■裏銘/箱書■■ ■■図版・149点・(組)・全カラー■■ ■■書/掛軸■■ ■■茶道/道具■■ ■■以下詳細をご覧下さい!!■■




■■『図録』・・・■■



―”琉球陶芸の最高峰”―

●●『人間国宝・金城次郎のわざ』・・・●●

**”THE MASTERPICES OF
   JIRO KINJYO,the
     potter of OKINAWA”**

  ◆1988・朝日新聞社。



―”ごあいさつ”―

★線彫りの魚が泳ぎ、海老がおどる――沖縄の陶芸・壺
 屋焼にロマンを吹き込んだのが、重要無形文化財保持
 者・(人間国宝)・金城次郎氏です。
 本展は、金城氏の喜寿を記念し、作陶生活60余年の
 代表的な作品と関連資料で、金城芸術の世界を表すも
 のです。
  沖縄県那覇市与儀に生まれた金城氏は、12歳で見習
 陶工になりました。
 しかし、雑役や走り使いなどの下働きばかりでー人前
 にロクロを蹴らしてもらえたのは17歳のころだった
 といいます。
 若き日の金城氏に民芸の影響を大きく与えたのは、大
 正末から昭和10年代にかけて沖縄を訪れた、濱田庄
 司・柳宗悦・河井寛次郎らでした。
 昭和21年、那覇市壺屋に開窯してからは、努力と才
 能が実を結びます。
 技法は、飛鉋・三島手・刷毛目・指描き・染付・赤絵
 ・三彩など中国・朝鮮・東南アジアの陶芸を思わせま
 す。
 なかでも大胆な線彫の魚文・海老文は代表的な文様と
 なっています。
 47年に沖縄県指定無形文化財・60年には国指定重
 要無形文化財保持者・(人間国宝)・になりました。
 本展の開催と図録の企画・構成・制作にあたって、並
 々ならぬご支援とご協力をいただいた研究家・施設・
 愛蔵家の皆様に心からお礼申し上げます。

**”昭和63年4月”**
                 ―”朝日新聞社”―


―”企画委員”―

■顧問。
  ●東京国立近代美術館工芸課長・長谷部満彦。
  ●日本民藝館長・柳宗理。

■監修。
  ●日本民藝館学芸員・佐々木潤一。
  ●美術評論家・宮城篤正。
  ●朝日新聞西部本社編集委員・源弘道。

■写真・資料提供及び協力者。
  ●池松隆一郎。
  ●大塚清吾。
  ●津波古聡。

■発行日=1988年・(昭和63)・4月1日。
■監修=宮城篤正・源弘道。
■撮影=大塚清吾。
■表紙撮影=朝日新聞社写真部。
■発行=朝日新聞西部本社企画部。
■製作=集巧社。
■価格=記載なし。
■サイズ=24×25cm。
■状態。
  ●表紙に、多少のキズ、ヤケが有ります。
  ●本誌内に、多少ヤケが見えますが、
  ●大きな、ダメージは有りません、



◆◆注意・・・◆◆

 ★表紙開き側に折れ跡 (上2cm×下8cm)辺りに
  裏表紙開き側に折れ跡(16cm×18cm)辺りに

 ★発行日より経年を、経て下ります。
  コンディションに係らず、古書で有る事を、
  充分に、御理解の上、入札下さい。

 ★神経質な方は入札をご辞退下さい・・!!


●全・166ページ・光沢上質紙・・・!!



●図版・149点・(組)・全カラー・・・!!

  ◆同図版に、複数の掲載が有りますので、上記
   数字より少し多めです。

  ◆各項目毎に、解説。

  ◆図版とは別に、金城次郎や風景の写真が
   掲載されて下ります・(カラーと一部白黒)。



●図版頁に・・・!!

  ◆番号/名称・(英文)/製作年/寸法/所蔵。

  ◆裏銘・5点。

  ◆箱書・2点。

  ◆背面・部分拡大・4点。

  ◆「茶碗」・実寸大・6点。



●作品リスト・頁に・・・!!

  ◆番号/名称/高さ・口径・胴径・底径・(高台径
   )/数/製作年/所蔵者/備考。



●蒐集・資料などの参考に・・・!!



●探されていた方は・この機会に・・・!!



●以下・詳細をご覧ください・・・!!



●掲載案内は・抜粋して下ります・・・!!



●掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい・!!



●数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。



●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と、致します。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



■■『ごあいさつ』・・・■■

**”朝日新聞社”**



■■『凡例』・・・■■

 ●本図録の図版番号は陳列番号と一致する。
  ただし陳列の順序は図版番号順とは限らない。

 ●所蔵者は原則として博物館・美術館のみ記した。

 ●法量の単位はすべてセンチメートルで示した。

 ●製作年は西暦表記とした。

 ●表紙写真は沖縄の海中写真。



■■『図版』・・・■■


●●『金城次郎の周辺』・・・●●

★幼少のころ、家が貧しかった関係で、新垣永徳の製陶
 所で見習陶工として働いた。
 その当時、新垣は壺屋陶芸界のリーダー格であり、そ
 こで彼の影響を受けた。
 大正13年、浜田庄司が新婚旅行で来沖し、滞在、当
 時わずか12歳の金城次郎は壺屋で製作中の浜田から
 多くのことを学ぶ。
 なかでも壺屋陶器のすばらしさを大和人・(ヤマトン
 チ
 ュ)・の浜田に教えられ発奮、技術習得に励んだ。
 昭和14年、柳宗悦を団長とする沖縄民芸調査団が大
 挙来島、それらの人々の知遇を得て、大きな感化を受
 けた。
 また、既にその当時、金城次郎の非凡な才能と技術は
 、柳宗悦・浜田庄司・河井寛次郎らの認めるところで
 あった。
 戦後は豊平良顕らのよき沖縄文化のリーダー達のもと
 で、精力的に制作活動を展開した。
 彼の体中に流れる壺屋陶工の熱い血と強烈な個性、健
 康で明るい人柄、たゆまざる努力によって、今日の地
 位は築き上げられた。

  ◆1・鉄絵灰釉碗。
                ・16・17世紀。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆2・壺屋徳利。
                ・18世紀。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆3・赤絵魚文皿。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆4・吾須絵皿。
                ・19世紀。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆5・飴釉白打双耳仏花器。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆6・鉄釉緑唐草文鉢。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆7・藍差線彫竹文花生。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆8・木綿紅型着物。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆9・筒描芋麻紅型風呂敷。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆10・筒描芋麻竹梅文紅型風呂敷。
                ・19世紀。
                ・日本民藝館。

  ◆11・白掛赤絵黍文鉢。
                ・浜田庄司作。
                ・1965年頃。
                ・日本民藝館。

  ◆12・飴釉白打藍差窓絵梅花文急須。
                ・浜田庄司作。
                ・日本民藝館。

  ◆13・白掛彫絵葉文角瓶。
                ・河井寛次郎作。
                ・1940年頃。
                ・日本民藝館。

  ◆14・白掛二彩打文角瓶。
                ・河井寛次郎作。
                ・1940年頃。
                ・日本民藝館。


●●『第二次世界大戦以前』・・・●●

★明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争によっ
 て壺屋窯の泡盛壺・(荒焼)・の生産が増大し好景気
 を迎えた。
 しかし戦争景気が去った大正・昭和初期にかけての壺
 屋陶業界はもちろん沖縄の社会全体が不況に見舞われ
 た。
 そのような時期に金城次郎は6人の兄弟の長男として
 壺屋のすぐ隣の与儀に生まれた。
 家が貧しく、小学校卒業以前に陶工見習工となり、家
 計を助けた。
 そのころ、浜田庄司との出会いがあり、柳宗悦・河井
 寛次郎・他に多くの民芸同人との知遇を得て、生涯の
 仕事として陶業に進むことを決意した。
 昭和11年、24歳で結婚・二男一女をもうける。
 家族を養うため新垣製陶所で作陶に打ち込み、頭角を
 現すようになった。
 ところが、沖縄戦が始まると防衛兵に招集され、読谷
 飛行場建設作業や壺屋で軍需品作りに従事した。

  ◆15・魚文徳利。
                ・同・背面。
                ・1929年頃。

  ◆16・斜格子文抱瓶。
                ・1935年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆17・線彫魚文鉢。
                ・日本民藝館。

  ★1969年・(昭和44年)・と・1987年・
   (昭和62 年)・の壺屋風景。

  ★1972年当時の仕事場。


●●『終戦から壺屋時代』・・・●●

★昭和20年6月、沖縄戦が集結する。
 すべてを失い、零からの出発であったが、いち早く金城
 次郎も壺屋窯の復興と食器作りに励んだ。
 翌年、34歳で長年の夢であった個人の工房を構えて独
 立した。
 昭和29年、第6回沖展に工芸部門が新設されたのに伴
 い、その運営にかかわる一方で、陶芸二人展を開催、ま
 た昭和30年、国展に初入選を果たした。
 他にも日本民藝館展等へ出品するなど、県内外における
 団体展や個展等積極的に作品発表を行った。
 そのことによって国展新人賞・国画会賞・第一回沖縄タ
 イムス芸術選大賞・国展会友優秀賞・日本民藝賞等の受
 賞が相次いだ。
 壺屋時代は彼の円熟期でもあり、実に多くの傑作を世に
 送り出している。
 こんどの展覧会にも、この時期の作品がもっとも多く展
 示されている。


―”皿・鉢”―

★沖縄の方言では皿のことをケーウチ・鉢をワンブーと
 呼称するが、どちらも日常生活でよく使われる食器で
 ある。
 皿は大別して、大・中・小に区別し、更に直径を寸法
 で表す等、細かく分類することが多い。
 金城次郎は昔から陶工を自認し、日用食器を盛んに作
 ってきたが、皿・鉢類もたくさん手掛けている。

  ◆18・線彫海老文大皿。
                ・1960年代。

  ◆19・線彫海老文大皿。
                ・1969年頃。

  ◆20・呉須飴差線彫海老文皿。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆21・呉須飴差線彫海老貝文皿。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆22・呉須飴差線彫魚海老文皿。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆23・イッチン海老貝文大皿。
                ・1955年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆24・線彫魚文大皿。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆25・線彫魚文大皿。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆26・線彫魚文大皿。
                ・1969年。

  ◆138・同・箱書。

  ◆27・線彫魚文大皿。
                ・1971年。

  ◆28・線彫魚貝文大皿。
                ・1970年。

  ◆29・唐草文大皿。

  ◆30・象嵌唐草文大皿。
                ・1967年。
                ・日本民藝館。

  ◆31・唐草文大皿。
                ・日本民藝館。

  ◆32・鉄絵唐草文大皿。
                ・1971年。

  ◆33・飴釉線彫蝸牛文菓子鉢。
                ・1949~50年。

  ◆34・幾何文鉢。
                ・1960年代。

  ◆35・線彫海老文皿。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆36・二彩点打深鉢。
                ・1970年。

  ◆37・三彩深鉢。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆38・窯変唐草文六角鉢。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆39・唐草文深鉢。
                ・1968年。

  ◆40・二彩幾何文皿。
                ・日本民藝館。


―”嘉瓶・(ゆしびん)”―

★嘉瓶は元来、沖縄の名酒・「泡盛」・を入れるための
 容器であった。
 昔は祝儀の際、贈答用に用いたもので、中身の泡盛を
 使い終わると嘉瓶は再び所有者に返される。
 したがって、形の部分に家紋を入れた嘉瓶を多く見掛
 ける。
 形態はひょうたんからの発想と考えられ、沖縄独特の
 造形美になっている。
 現在、この形態は広く人々に親しまれており、花生け
 等に転用される事例が多い。

  ◆41・三彩描嘉瓶。
                ・1960年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆42・三彩大嘉瓶。

  ◆43・線彫段文嘉瓶。

  ◆44・黒釉指描嘉瓶。
                ・1961年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆45・二彩嘉瓶。
                ・1968年。


―”壺”―

★元来、容器としての機能で作られてきたが、近年それ
 だけにとどまらず、生活空間の中に置いて楽しむ社会
 的風潮が醸成されている。
 また、花瓶・花生けとしても利用出来る。
 単純明快な壺の形態として自由奔放な絵付け等、金城
 次郎の多様な技法は私たちの心をとらえ、精神的豊か
 さと安らぎを与えてくれる。

  ◆46・緑釉唐草文三耳壺。
                ・同・裏銘。
                ・1950年頃。

  ◆47・指描耳付大壺。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆48・二彩四耳壺。
                ・1968年。

  ◆49・緑釉指描唐草文壺。

  ◆50・飴釉線彫魚文壺。

  ◆51・飴釉縄編線文四耳壺。
                ・1970年。

  ◆52・窓絵唐草文壺。

  ◆53・黒釉イッチン魚文壺。
                ・1965年。

  ◆54・白刷毛目黍文壺。
                ・1950年代。

  ◆55・描落唐草文壺。

  ◆56・イッチン唐草文壺。


―”花瓶・花生け・蓋物”―

★略・・・・・。

  ◆57・緑釉線彫魚文花瓶。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆58・鉄釉指描唐草文花瓶。
                ・同・裏銘。
                ・1970年代。

  ◆59・線彫窓絵魚文花瓶。
                ・同・裏銘。
                ・1969年。

  ◆60・緑釉蝋抜花瓶。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆61・線彫魚文花瓶。
                ・1968年。

  ◆62・イッチン花文花瓶。
                ・1948年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆63・線彫魚文花瓶。
                ・1949年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆64・線彫海老文竹筒型花生。
                ・同・背面。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆65・線彫海老文竹筒型花生。
                ・同・背面。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆66・線彫魚文蓋物。
                ・1970年。

  ◆139・同・箱書。

  ◆67・三彩盒子。
                ・1969年。
                ・日本民藝館。

  ◆68・呉須飴差飛鉋蓋物。
                ・1969年。
                ・日本民藝館。

  ◆69・唐草文盒子。
                ・日本民藝館。


―”茶碗”―

★昔から上流階級の生活に茶の湯が採り入れられてきた
 が、一般庶民の間に普及したのは、ごく近年のことで
 ある。
 したがって、昔は多く作られていなかった。
 古い、まかい・(碗)・の中には、確かに茶碗として
 十分に使えるものが少なくない。
 金城次郎の茶碗も、まかい型が多くみられ、技法は技
 法にわたる。

  ◆70・線描茶碗・(実寸大)。
                ・1965年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆71・象嵌茶碗・(実寸大)。
                ・1965年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆72・白掛指描茶碗・(実寸大)。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。

  ◆73・白掛刷毛打茶碗・(実寸大)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆74・イッチン波文茶碗・(実寸大)。
                ・1950年代。

  ◆75・三島茶碗・(実寸大)。
                ・沖縄県立博物館。


―”水指”―

★金城次郎はかつて壺屋時代に朝鮮李朝陶器に傾倒した
 ことがあったという。
 そのころから、しばしば刷毛目の技法を作品に試みる
 ようになった。
 彼の刷毛目はそれだけでも大胆であるが、更に得意と
 する線彫海老文等を組み合わせることによって一層面
 白い効果を醸成している。
 他に重厚な黒釉の上にダイナミックな指描唐草文を施
 した水指があるが、いかにも素朴で力強い作品となっ
 ている。

  ◆76・刷毛目線彫海老文水指。
                ・1970年。


―”急須・湯呑”―

★沖縄はお隣の中国とは長い交流の歴史があり、生活習
 慣面にも多くの影響がみられる。
 昔から中国茶を好んで飲む傾向もそのあらわれであろ
 う。
 沖縄では急須をチューカー・(茶家)・と称す。
 日ごろから茶を茶のしみ、来客をもてなすために必要
 かつ不可欠なものである。
 金城次郎の、急須・湯呑の形と絵付けには素朴で暖か
 さがあふれている。

  ◆77・線彫文急須。
                ・1970年。

  ◆78・赤絵急須。
                ・1951年。

  ◆79・指掻手付急須。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆80・三彩急須。
                ・1970年。
                ・日本民藝館。
  ◆81・白打緑差急須。
                ・日本民藝館。

  ◆82・二彩急須。
                ・1956年。
                ・日本民藝館。

  ◆83・線彫海老文手付急須・湯呑・(5点)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆84・線彫魚文手付急須・湯呑・(5点)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆85・イッチン草文湯呑・(3点)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆86・湯呑・(3点)。
                ・1955年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆87・赤絵点文湯呑。
                ・1971年頃。


―”抱瓶・(だちびん)”―

★抱瓶は、昔、地方の豪農たちが特別注文して作らせた
 携帯用酒器である。
 肩からつるし、腰にあてるため美しいカーブを有する。
 三日月形もしくは面取りになっていて、沖縄の造形美
 を代表する。
 現在でも非常に人気が高く、小型の醤油差し、一輪差
 し、さらには観光土産品としてたくさん作られている。
 抱瓶を大型化して製作したのは金城次郎がはじめてと
 いわれる。

  ◆88・線彫海老文抱瓶。
                ・1948年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆89・鉄釉鎬抱瓶。
                ・1950年代。

  ◆90・線彫魚文抱瓶。
                ・同左下部分(拡大)。
                ・1951~53年。

  ◆91・線彫魚文抱瓶。
                ・1960年代。

―”酒器-からから・徳利・ジョッキ”―

★沖縄の陶器には酒器が多いが、その中でも、からから
 ・徳利は代表格である。
 庶民の生活のなかでまつりやお祝いの座で、からから
 ・徳利で泡盛が配られるといっそう、にぎやかさを増
 す。
 お酒がまわると、カチャーシー・(即興の歌舞)・が
 飛び出し、祝宴は最高潮に達する。
 ジョッキは戦後、米国人向けに作られ、次第に地元で
 も愛用者がふえた。

  ◆92・緑釉唐草文からから。
                ・1953年。

  ◆93・線彫海老文からから。
                ・同・裏銘。

  ◆94・イッチンからから。
                ・1969年。

  ◆95・二彩点打からから・(2点)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆96・緑釉線彫魚文徳利。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆97・飛鉋徳利。
                ・1969年。
                ・日本民藝館。

  ◆98・徳利・(3点)・ぐい呑・(3点)。
                ・1965年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆99・波状文ジョッキ。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆100・櫛目文ジョッキ。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆101・二彩流ジョッキ。
                ・1965年頃。

  ◆102・掛分鎬ジョッキ。
                ・同・裏銘。
                ・1950年代。


―”碗・(まかい)・箸立て・小皿・”―

★沖縄の食文化の特徴は、どちらかというと過去の長い
 交流の歴史によって、中国や東南アジアの影響を強く
 受けている。
 まかいの形態を絵付けにもそのことが伺えるが、この
 生活必需品であるまかいや皿類は昔からたくさん作ら
 れてきた。
 箸立のほとんどは台所の柱に打ちつけた釘等引っ掛け
 て使用されることが多かった。

  ◆103・唐草文碗・(まかい)。
                ・日本民藝館。

  ◆104・呉須唐草文碗・(まかい)。
                ・日本民藝館。

  ◆105・線彫海老文碗・(まかい)・5点。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆106・線彫魚文碗・(まかい)・5点。
                ・1970年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆107・線彫魚松竹梅文箸立。
                ・1949~50年。

  ◆108・線彫魚文皿・(3点)。
                ・1970年。
                ・日本民藝館沖縄分館。

  ◆109・線彫海老文小皿・(5点)。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆110・線彫魚文小皿・(5点)。
                ・沖縄県立博物館。


―”傘立て”―

★略・・・・・。

  ◆111・呉須飴釉唐草文傘立。
                ・1968年。

  ◆112・半胴型呉須芭蕉文傘立。
                ・1950年代。


―”香炉・蝋燭立て・灰皿・水滴”―

★略・・・・・。

  ◆113・緑釉香炉。
                ・1951~53年。

  ◆114・緑釉・蝋燭立。
                ・1946~47年。

  ◆115・線彫海老文蓋付灰皿。
                ・1968年。

  ◆116・赤絵草文水滴。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆117・線彫水滴。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。

  ◆118・線彫水滴・(5点)。
                ・1954年。
                ・沖縄県立博物館。


―”厨子甕・角箱”―

★厨子甕とは死者の遺骨を洗骨して納める容器である。
 陶製厨子甕は壺型と家型とに分けられるこの容器は墓
 と同様に死者の住家とする観念から蓮花、菩薩像など
 の線彫りまたは貼付文等で加飾される部分が多い。
 金城次郎の作品は小型化したり、獅子頭をもせたりし
 て形態面でかなり思い切った独創性や単純化等の工夫
 が多く見られ、ユニークである。

  ◆119・二彩唐草文角箱。
                ・1960年代。

  ◆120・三彩角箱。
                ・1970年代。
                ・日本民藝館。

  ◆121・御殿型厨子甕。

  ◆122・呉須飴差貼付文厨子甕。
                 ・1969年代。
                 ・日本民藝館。

  ◆123・貼差貼付文厨子甕。
                 ・日本民藝館。

  ◆124・貼付文厨子甕。
                ・日本民藝館。

  ◆125・緑釉獅子頭角箱。
                ・1971年。


●●『読谷時代』・・・●●

★昭和47年5月15日、沖縄県民の悲願であった祖国
 復帰が実現した。
 金城次郎が戦前から陶器作りに親しんで来たやちむん
 の里、壺屋がすっかり都心になり、公害問題で登り窯
 が炊けなくなったことに見切りをつけ、同年10月、
 読谷村座喜味へ移転した。
 また、同年11月、彼は沖縄県教育委員会から県指定
 無形文化財沖縄陶器の技術保持者に認定された。
 陶器では最初の県指定であった。
 更に昭和60年、国の重要無形文化財琉球陶器の技術
 保持者・(いわゆる人間国宝)・に沖縄で初めて認定
 された。
 この読谷時代は日本陶芸界に確固たる地位を築き、最
 高の名誉を獲得した時期であった。
 現在、読谷村座喜味の恵まれた自然環境のなかで、の
 びのびと作陶に打ち込む毎日である。

  ★移転直後の読谷の登り窯。

  ◆126・線彫魚海老文花瓶。
                ・1973年。

  ◆127・象嵌魚文壺。
                ・1973年。

  ◆128・線彫魚文花瓶。
                ・1973年。

  ◆129・線彫魚文竹筒型花生。

  ◆130・線彫魚唐草文角瓶。

  ◆131・二彩蓋物。
                ・1973年。

  ◆132・白釉掛流茶碗。
                ・1975年。

  ◆133・刷毛目水指。
                ・1975年。

  ◆134・黒釉水指。
                ・1975年。

  ◆135・赤絵魚文湯呑。
                ・1973年。

  ◆136・飴釉獅子頭角箱・(2点)。
                ・1972年。

  ★金城次郎・読谷工房でロクロに向かう・1987
   年6月。


●●『関連資料』・・・●●

  ★ロクロと手・1971年。

★金城次郎の作品についてみると、器形・絵付け等、す
 べての面に大らかで力強さがみなぎり、壺屋陶器の原
 点と特徴をよく具備している。
 彼は長い伝統を誇る壺屋陶器のよさを学び、身につけ
 ているので、昭和10年代に浜田庄司・河井寛次郎ら
 が壺屋で製作した作品と比較すると、かなり共通点を
 見いだすことが出来る。
 他に関連資料としては、棟方志功・安部栄四郎  民芸関係の作家たちとの交流を示す作品がある。
 更に陶木・拓本・桐箱の蓋裏・画用紙・色紙・箱書等
 に描かれた魚文・海老文をみると、またひと味違う趣
 と特徴を持っている。
 おのおのが金城次郎の周辺の人間関係を伺い知るのに
 必要かつ貴重な資料である。

  ◆137・壁掛獅子面・(2点)。

  ◆140・絵。
                ・1969年。

  ◆141・スケッチ・(魚・海老)。
                ・1976年。

  ◆143・色紙・(魚)。
                ・1985年。

  ◆144・色紙・(海老)。
                ・1985年。

  ◆142・スケッチ・(魚・海老)。
                ・1976年。

  ◆145・拓本・(魚)。
                ・1986年。
  ◆146・拓本・(海老)。
                ・1986年。

  ◆147・陶板。
                ・1987年。

  ◆148・絵。
                ・棟方志功。
                ・1957年。

  ◆149・陶板・「飛翔」。
                ・同・裏面。
                ・安部栄四郎。


●●『金城次郎窯』・・・●●

  ★金城次郎・読谷の工房・1987年6月。

  ★窯出しを見る・1987年6月。

  ★火入れの儀式・1987年11月。

  ★窯焚きをする長男の敏男氏・1987年6月。

  ★他・・・・・。



■■『琉球の富』・・・■■

**”柳宗悦”**

 ●序。

 ●陶器。

 ●跋。



■■『金城次郎 人と作品』・・・■■

**”宮城篤正”**



■■『沖縄を語る』・・・■■

**”金城次郎”**

 ●13歳で弟子入り。

 ●民芸運動に触発。

 ●戦後自前の窯を開く。

 ●線彫りにも苦労。

 ●浜田庄司に師事。

 ●登り窯にこだわる。

 ●陶芸家とは違う。

 ●批判するのは簡単。

 ●土着に徹する。

 ★(聞き手・藤山清郷記者・1985年5月3日・1
   0日・17日付・朝日新聞・西部本社朝刊・「沖
   縄ページ」・から)。



■■『年譜』・・・■■



■■『関連地図』・・・■■



■■『出品リスト』・・・■■



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